京みやげの老舗・聖護院八ツ橋の本店近くの積善院内にある崇徳院地蔵は通称・人喰い地蔵とも呼ばれている。
保元の乱に敗れた崇徳上皇は、兄の後白河や清盛によって讃岐に流され、その地で都を呪いながら1164年に亡くなった。
その頃、京では大火や流行り病が続き、清盛も高熱の病で亡くなったため、上皇の祟りと恐れられた。
崇徳の怒りを鎮めようと地蔵尊が造られたが、「崇徳院」がなまっていつしか「人喰い」地蔵とも呼ばれるようになった。
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しずかさん
こんちは!
人喰い地蔵ですかー!
怖っ!
くいが喰いだと、食いよりも怖いですね。
昔は本当にうらみつらみの世の中だったのでしょうから
あながち迷信とは言えないかもしれませんね・・・
投稿: 「感動創造」 | 2007年5月25日 (金) 16時12分
感動さん、こんばんは!
私もそう思いました。
「食う」よりも「喰う」という方が
リアルな感じで怖いですね。
人喰い地蔵は、怨念がこもっていそうで写真を撮るのも怖かったです。
投稿: しずか | 2007年5月25日 (金) 23時43分
小さな祠のようですが、歴史があるのですね。
当時は大変な話題になったことなんでしょう。
それが、今では「人食い地蔵」として伝わって
いる。
歴史は、やっぱり面白いです。
投稿: ラメール | 2007年5月28日 (月) 12時04分
ラメールさん、コメントありがとうございます。
この祟り伝説を知らなければ
何となく通り過ぎてしまいそうな
ところにあります。
このような伝説になるなんて崇徳天皇の
恨みはさぞかし深いものだったのでしょう。
投稿: しずか | 2007年5月28日 (月) 19時57分
しずかさん、こんにちは!
人喰い。。。何とも恐ろしいネーミングですね。。。
確かに・・・喰いの方が、何だか怖いイメージがありますよね。。。
そう考えると・・・漢字の力は、実に偉大ですよね☆
投稿: りっきー | 2007年5月30日 (水) 18時15分
りっきーさん、こんばんは!
そうですね~。
漢字一文字でこんなにイメージって
変わるものなのですね。
人喰い地蔵は一人で行くと怖いです。(笑)
投稿: しずか | 2007年5月30日 (水) 22時40分
あれ???
先日コメント入れたの・・どこへ行ったの?
「崇徳院」がなまって「人食い」・・
なるほど似てますね。
名前をつける時にはよほど考えないといけないね・・
って書いたのに・・・
投稿: merry | 2007年6月 1日 (金) 19時39分
merryさん、再度コメントありがとうございます。
コメントが消えたのは崇徳院の呪いか?(汗)
今でも崇徳院の史跡には、夏でも冬のように寒かったり不思議なことが起こっているそうですね。
投稿: しずか | 2007年6月 2日 (土) 00時23分