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2007年6月

2007年6月23日 (土)

熊野神社

811年、修験道の日圓上人が紀州の熊野権現を勧請したのが始まりである。
平安末期に熊野詣を頻繁に行っていた後白河法皇の信仰が篤かったことでも知られ、新熊野神社、熊野若王子神社とともに京都三熊野と呼ばれている。
応仁の乱で消失したが、その後再建された。

建礼門院が安徳天皇の安産祈願をしたことから安産のご利益があると信仰されている。2_c_10 3_c_5

2007年6月14日 (木)

須賀神社

京都の聖護院にある神社で、元は鳥羽天皇の中宮である美福門院藤原得子の御願寺・歓喜光院の鎮守社であった。
境内にある交通神社は、交通や旅行の安全、旅館業の守り神として信仰されている。
また節分の日には烏帽子を被った水干姿の懸想文売りが現れる。
その日に売られる懸想文を鏡台や箪笥に入れておくと美人になり良縁があるというが・・・。

懸想文売りの姿はこちらImg_0442c Img_0444c

2007年6月 8日 (金)

安井金比羅宮

崇徳天皇御廟から歩いてすぐのところにある安井金比羅宮は、崇徳天皇、讃岐から勧請した大物主神(おおものぬしのかみ)、源頼政を祀る。
主祭神である崇徳天皇が讃岐の金比羅宮でいっさいの欲を断ち切って参籠されたことから、断ち物の祈願所として信仰されている。
境内にある石碑(写真右)は縁切り・縁切り石といい、高さ1.5m、幅3mもの巨石である。
中央の穴を右から左にくぐると縁切り、逆は縁結びとなる。(御札がたくさん貼られているため石のようには見えませんが)
また境内に奉納され絵馬を集めた絵馬館もある。

縁切りは男女の縁、タバコ、酒、病気などにもいいとのこと。Img_0448c Img_0449c Img_0450c

2007年6月 1日 (金)

崇徳院御廟

祇園の東大路通から裏通りに入ると祇園甲部歌舞伎場がある。
その裏にひっそりと建つ
崇徳院御廟は、阿波内侍によって建てられた。
阿波内侍は、藤原信西の娘で、母親の朝子は後白河法皇の乳母である。
内侍は崇徳天皇に寵愛され、讃岐に配流された崇徳帝が亡くなった後、出家し、御廟を建てた。
内侍は晩年、大原で建礼門院に仕え、最期を看取ったという。Img_0447c Img_0446c

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