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2007年9月 6日 (木)

高松殿址(高松神明社)

 醍醐天皇の皇子・源高明(たかあきら)の邸宅で、高明の娘・明子が住んでいたことから高松殿と呼ばれた。(後に明子は藤原道長の妻となる)
 その後、後白河天皇の内裏となり、保元の乱では後白河天皇の本拠地となり、源義朝や平清盛らがここに参集して白河の地へ攻め込んだ。
 平治の乱で全焼してしまうが、鎮守社の高松神明神社が今も残っている。C C_2

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後白河天皇」カテゴリの記事

コメント

しずかさん、おはようございます!
高松殿、昔は権勢を誇っていたんでしょうね~。
高松って、結構珍しい名前と思っていたんですが、高松塚古墳以外には知らなかったので、ちょっとオドロキ。。。

しずかさん

こんばんは。

大阪出張などなどでバタバタしておりました。

台風は大丈夫でしたか?

全焼したものが再建されたものってたくさんありますが、それはそれですごいですよね。

日本の建築の技術ってすごい!

りっきーさん、こんばんは!

京都には他にも神明神社があるので
「高松」とつけて区別しているので
しょうね。
りっきーさんがお住まいの奈良は
まだ詳しくないので、また時間をつくって
行きたいと思っています。

感動さん、こんばんは!

台風の被害、そちらは大丈夫でしたか?
東京は信号機が倒れてたりしたところも
あったのですね。
私のところは西部なので雨風が強かったぐらいで
済みました。
自然の被害は恐ろしいですね。

土御門内裏跡も高松殿址も、保元・平治の乱で火災にあったり、取り壊されたりしているのですね。

京の都にたて続きに起った乱で、都に住む人も大変だったでしょうね。

merryさん、コメントありがとうございます。

消失したり、取り壊されたりしても
跡が残っている以上はその歴史を忘れずに
いたいですね。

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