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田辺駅から最初に向かったのが闘鶏神社。
歩いて5分ほどで到着。
この日は弁慶祭りで、こちらの境内でも祭りのイベントがあり、多くの人たちが集まっている中、私は写真撮影に没頭しました。(笑)
日本の闘鶏の歴史
日本では古来は占いに使われ、平安時代の頃から鶏合わせ(とりあわせ)と呼ばれ、宮中や貴族の間で行われた。この時代に使用されていたのは、地鶏や日本初の外来種の小国であった。
江戸時代になると、現在のようにシャモによる闘鶏が始まった。
しかし、庶民の間で賭けの対象とされることが多くなり、幕府は何度か禁止令を出した。
明治時代には法的にも禁止されたが、生き残っていったという。(Wikipedia参照)
闘鶏神社の由来
弁慶の父とされる熊野別当湛増が源平合戦の際、紅白の鶏を闘わせ、白鶏が勝ったので源氏に味方し、壇ノ浦に出陣したことに由来する。
「平家物語」に名高い鶏合わせ壇ノ浦決戦の舞台はここが舞台である。
(田辺探訪、田辺観光協会資料参照)
弁慶祭りが行われた10月6日、紀伊田辺の弁慶の史跡を訪ねてみました。
弁慶といえば誰もが知っている人物ですが、彼が実在していたかは定かではありません。
しかし、彼がここ田辺の出身だという説は、「義経紀」の記述と、田辺市内に残っている弁慶ゆかりの史跡により、地元では広く信じられているそうです。
弁慶は熊野別当家の嫡子幼名を鬼若といい、比叡山で修行をしました。
その後、自らを弁慶と名付け、義経と出会います。
義経との決闘に敗れた弁慶は生涯の家来になることを誓い、生涯を共にしました。
駅の改札を出ると、「田辺の三人」という看板が目に入ります。
やはり彼は田辺の英雄なのでしょうね。
そして探していた弁慶像をバスのターミナルの横に見つけました。
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