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2007年10月13日 (土)

田辺の旅②闘鶏神社の由来

田辺駅から最初に向かったのが闘鶏神社。
歩いて5分ほどで到着。
この日は弁慶祭りで、こちらの境内でも祭りのイベントがあり、多くの人たちが集まっている中、私は写真撮影に没頭しました。(笑)

日本の闘鶏の歴史

 日本では古来は占いに使われ、平安時代の頃から鶏合わせ(とりあわせ)と呼ばれ、宮中や貴族の間で行われた。この時代に使用されていたのは、地鶏や日本初の外来種の小国であった。
 江戸時代になると、現在のようにシャモによる闘鶏が始まった。
しかし、庶民の間で賭けの対象とされることが多くなり、幕府は何度か禁止令を出した。
 明治時代には法的にも禁止されたが、生き残っていったという。
(Wikipedia参照)

闘鶏神社の由来

 弁慶の父とされる熊野別当湛増が源平合戦の際、紅白の鶏を闘わせ、白鶏が勝ったので源氏に味方し、壇ノ浦に出陣したことに由来する。
 「平家物語」に名高い鶏合わせ壇ノ浦決戦の舞台はここが舞台である。
(田辺探訪、田辺観光協会資料参照)C 1 C_2

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湛増」カテゴリの記事

コメント

こんばんは。

へぇ。
壇ノ浦の前にこんなエピソードもあったんですね。

それは知りませんでした。

さすがしずかさん。勉強になります。

感動さん、こんばんは!

ここは、大河ドラマでも紹介されていたので
いつか行きたいと思っていました。
ひとつの戦の影に隠れたエピソードを追うのも
面白いです。

へぇー闘鶏ですか。
日本でも古来から行われているもんなんですね。

ITおやじさん、こんにちは。

闘鶏は古来から行われていましたが、時代によって
楽しみ方も変わっていったのですね。

紅白の鶏はそれぞれ7羽いたのに、紅は全部負けたそうですね。
完敗ですね。

merryさん、こんばんは!

完敗だからどっちにつくかはっきり決められたのかもしれませんね。
引き分けたらどうだったのでしょう?

こんにちは!
壇ノ浦の前に、このようなエピソードがあったんですね~。初めて知りました。。。

闘鶏にゆかりのある地だったことも、知りませんでした。。。
色々と奥の深い街のようですね~。

今夜はいよいよ大詰めですね!
さてさて・・・勝負の行く末は、どうなりますでしょうか??

りっきーさん、こんばんは!

面白いエピソードですよね。
壇ノ浦は一昨年行ったので順番が
逆になってしまいましたが。

今晩は予想通り(笑)負けてしまいました。
明後日は彼が決めてくれることを期待!!

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