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2007年10月26日 (金)

田辺の旅④闘鶏神社の宝物館

闘鶏神社の宝物館を見せていただきました。
ガラスに反射してしまい、上手く写真が撮れていませんが
左から


横笛・・・義経愛用の笛と言われ、享和元年酉10月27日領主安藤道紀によって奉納されました。

弁慶産湯の釜・・・弁慶出生の時、産湯を沸かした釜といわれています。

湛増の鉄烏帽子・・・
湛増が身に着けていたと伝えられており、産湯の釜と同様、明治の初めに大福院から闘鶏神社に移されました。

湛増の鉄扇・・・熊野別当湛増所持と伝えられています。

   横笛        釜      鉄烏帽子    鉄扇C_2   C_3 C_4 2c  





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湛増」カテゴリの記事

コメント

弁慶はお母さんの胎内に18ヶ月いて、生まれたときには2~3歳の大きさだったと云われていますね。
この釜で、何ばいのお湯を沸かしたのでしょうね(笑)

merryさん、コメントありがとうございます。

弁慶に関しては実際には在り得ないような
エピソードばかりが伝わっていますね。
それが事実だったかは別として
後世に伝わっていったことに拍手したいです。

しずか さん

おはようございます。

弁慶伝説、今の科学的な尺度でいえば
まったくもってアリエナイ話ばかりですよね。

しかし、それがまた夢のある歴史のいいところでもありますよね。

感動さん、おはようございます。

まさにその通りですね。
史実だけを追い求めるのでは面白味が欠けるかもしれません。
こういうロマンも歴史の大切な一部だと思います。

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