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2007年11月

2007年11月28日 (水)

田辺の旅⑨弁慶の腰掛石

田辺第一小学校の裏手にある八坂神社の境内に、弁慶が少年時代に座ったという腰掛石があります。
近づいてみたら・・・なるほどお尻の窪みらしき凹みがありました。
ここに座ったかって?
もちろん座って写真を撮ってもらいましたよ!
座った感じは・・・
見た目より結構へこんでいました。C Photo C_2C_3

2007年11月25日 (日)

田辺の旅⑧弁慶観音像

田辺駅から約5分ほど(闘鶏神社からも近いです)のところに、臨済宗妙心寺派の海蔵寺があります。
こちらには壇ノ浦の合戦の際、湛増が熊野水軍の本尊として軍船に置き、戦勝を祈願したという弁慶観音が祀られています。
年に一度の公開ということで、残念ながらそのお姿を拝見することはできませんでしたが、弁慶観音は県文化財に指定されており、県指定書によると鎌倉期とされています。
胸にようらくをかけ、右手に蓮花を持ち、左手に施無畏(せむい)印を結んだ坐像で、像高は1m(宝冠を除く)、体名銘は現時点では見出されていないそうです。C C_2 1c_2 2c

2007年11月17日 (土)

田辺の旅⑦弁慶誕生地の碑

闘鶏神社の近くにある大福院の境内に、弁慶誕生地の碑がある。

大福院は、新熊野権現宮(闘鶏神社)の本願(修理別当)として社役を分担したが、明治初年の神仏分離の際、闘鶏神社と関係を絶った。
古絵図には、護摩堂があり、本尊不動明王の記録もあるが、現在は不動明王像のみ現存する。(田辺市指定文化財案内板より抜粋)

その不動明王坐像が、10年前の地震で右腕がとれてしまい、ずっとそのままでいたのですが、市民の方達の寄付により2005年にめでたく修復されました。(大福院は檀家のない祈祷専門の小さなお寺です)

修復前と修復後の写真はコチラ

現在闘鶏神社に展示されている湛増の鉄烏帽子や弁慶産湯の釜は、元々大福院にあったもので、明治の初めに闘鶏神社に移されたそうです。

気をつけて歩いていないと見落としそうなほど小さなお寺です。1 Photo C

2007年11月11日 (日)

田辺の旅⑥弁慶まつり

史跡めぐりの途中、大通りで行われていた弁慶ゲタ踊りに遭遇!
思い思いの衣装を身に着けた総勢1000名の踊り子さんが、弁慶をイメージした振り付のゲタ踊りで通りを進んでいきます。
中には外国人の姿や白塗りの義経さま(笑)がいました。
私が必死で写真を撮っていたら、その義経さまに「一緒に撮りますか?」とここでも記念撮影をさせてもらいました。
結構みなさん、ノリノリなんですね。(笑)

弁慶まつりは、今年で21回目を迎え、有名人のゲストを招いたりしていて、過去のゲストの中には、江本孟紀さん、アントニオ猪木さん、小西博之さんなどの名前がありました。
昨年のゲストはなんと渦中の亀田大毅選手だったのですよ!
そういえば「浪速乃弁慶」と呼ばれていましたね。1b 3b 4b 7_b 10b

2007年11月 5日 (月)

田辺の旅⑤扇ヶ浜と熊野水軍出陣の碑

 扇ヶ浜(カッパーク)は田辺湾沿いに扇を広げたような砂浜で、噴水や児童公園などがあり、市民の憩いの場となっています。
 その噴水のすぐ近くに熊野水軍出陣の碑があります。
この碑は熊野別当湛増が、壇ノ浦の合戦において源氏の味方をするために1185年、扇ヶ浜から出陣したという史実を残すために昭和47年に建立されたそうです。

この日は扇ヶ浜で物産展や花火大会が催され、多くの人々で賑わっていました。
これも弁慶祭りのイベントなんですよ。
私の宿泊したホテルは、ここから歩いて10分ほどのところにあり、ベランダから花火を楽しむことができました。

扇ヶ浜     熊野水軍出陣の地の碑

          C C2 Img_1746_c Img_1756_c   

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