« 2008年1月 | トップページ | 2008年3月 »

2008年2月

2008年2月29日 (金)

常盤御前就捕処碑

雪の降る寒い日に伏見まで足を延ばしました。
今回の目的は常盤御前が捕らえられたところに建つ石碑。
近鉄「桃山御陵駅」から徒歩5分の伏見合同宿舎内にあるということなので、簡単に探せるだろうと思っていました。
駅を出てみると辺りは団地だらけ。
どれがどれだかわからないくらいたくさん建っています。
道行く人に尋ねたら、「もっと向こう
ですよ。」と言うので、言われた通りに進んでみました。
しばらくしてまた聞いてみると「そこなら丘の上の方です」と言う。
またもやその言葉を信じて行ってみましたが、それらしき建物はありません。
気がつくと、駅から遥かに遠くなっていました。wobbly

また他の人に尋ねたら「ここは桃山合同宿舎だから反対の方向に戻ってください。」とweep
今来た方角???
で結局引き返して今度はお米屋さんに尋ねてみました。
「あ~近くにありますよ」
やった~sign01と思い早歩きで向かってみました。
でも・・・やっぱり見当たらない。
最後の手段flair
バイクで走っていた郵便屋さんを捕まえて聞くと意外な答えが返ってきました。
「あ~伏見合同宿舎は前はここにあったのですが今は空き地になってますよ」
見るとたしかに目の前に空き地があります。
しかもロープが張られてて立ち入り禁止になっています。

「うそ~今まで教えられたことはなんだったんだangry
私の持っているガイドブックはもう古かったのねsweat02
時計を見たらかれこれ一時間近く彷徨っていました。
しかし、そこで空き地の真ん中にある物を発見eye
遠くではっきり見えませんが石碑のような形をしている。
デジカメをズームにしてみたけど限界。
そうだup今日はビデオもmovie持っていたんだgood
さっそくビデオをズームにしてみたら
やはり石碑に何か書いてあるsign01
どうやら石碑の裏のようだ。
表側を見てみようと空き地をぐるっとまわってバス通りの方から写してみました。
やっぱりshine「常盤御前」の文字がheart02
やっと見つけたぞ~search諦めないで良かった~

とかなり執念深い今回の史跡めぐりのスタートでありました。
頑張って見つけた石碑の画像を見てやってくださいsweat01

郵便屋さん、ありがとうございますlovely あなたは神ですheart04(笑)


平治の乱で夫の義朝を殺され、今若、乙若、幼い牛若たちを連れて逃避行していた常盤は、自分の母親が平家に拘束され、拷問を受けていることを知り、自ら六波羅へ出頭しようとする。
しかし、奈良から戻る途中にこの場で平家に捕まってしまったという。

京都市歴史資料館の方のお話では、常盤御前が六波羅まで無事に辿り着いたとの説もあり、真偽のほどはわからないそうです。

    表        裏 C_2 C_3



| | コメント (6)

2008年2月22日 (金)

俊成社

烏丸松原のオフィス街の谷間にある俊成社。
ここは平安時代末期の歌人である藤原俊成の邸宅のあった場所とされ、俊成の御霊を祀るために創建されました。
俊成は定家の父で、後白河法皇の命で「千載和歌集」を選集しました。
百人一首には

世の中よ 道こそなけれ 思ひ入り
山の奥にも 鹿ぞ鳴くなむ

という歌が載せられています。

また平清盛の弟である忠度が西国へ落ちる際、和歌集に自分の歌を載せて欲しいとこの邸宅を訪ねて来たでも知られています。Img_2695c Img_2696


| | コメント (12)

2008年2月13日 (水)

扇塚

五条大橋といえば真っ先に浮かぶのが弁慶と義経の像だと思いますが、ここには平家の平敦盛にまつわる伝承も残されています。

扇は平安時代初期にこの地で作られるようになったことから五条大橋の西側に扇塚という石碑があります。

ここ五条大橋の畔は時宗御影堂の遺趾であり、一の谷の合戦で命を落とした平敦盛の妻は彼の死後、出家して蓮華院尼と名乗り、御影堂の寺僧とともに扇作りを始めました。
それが御影堂扇として有名になり、それ以来、この界隈に扇工が集まることになったとされています。C Img_2706c Img_2636c

| | コメント (8)

2008年2月 7日 (木)

大覚寺

訪れたのは昨年の秋のこと、穏やかに晴れた秋晴れの日、嵐山の大覚寺に出かけました。この日は、嵯峨菊展が催されていて境内のあちこちに黄色やピンクの嵯峨菊を見かけました。

嵯峨菊は嵯峨天皇の御代、大沢池の菊ケ島に自生していた嵯峨野独特の野菊を、永年にわたって王朝の気品ある感覚をもって洗練し、「天、地、人」の微妙な配置に仕立て上げた、格調高い菊である。古典菊の精華、嵯峨菊は1鉢に3本仕立て、草丈は殿上から鑑賞するのにちょうどよい高さの約2メートルに仕立てる。

花は先端が三輪、中程に五輪下手に七輪と、七、五、三に。葉は下部を黄色、中程は緑、上の方は淡緑というように仕立て、春夏秋冬をあらわすことになっている。花弁は平弁で、54弁。長さは約10センチが理想とされ、色は嵯峨の雪(白)、右近橘(黄)、小倉錦(朱)、藤娘(桃)などの淡色が多く、あまり混植をしない。
大覚寺では、風情ある嵯峨菊を毎秋11月に一般公開し、訪れた多くの参拝者の目を楽しませている。
(大覚寺HPより)

大覚寺は嵯峨天皇の離宮の跡地に建立された真言宗大覚寺派の大本山。
鎌倉時代に後嵯峨、亀山、後宇多法皇が院政を行ったことから「嵯峨御所」と呼ばれました。
広大な境内に広がる大沢池は、嵯峨天皇が離宮を造営した際、中国の洞底湖をモデルにした周囲1kmの人工池で、仲秋の名月には船を浮かべて「観月の夕べ」が催されます。Img_2500c Img_2502c Img_2504c Img_2508c Img_2510c Img_2513c Img_2516c Img_2517c Img_2519c

| | コメント (6)

« 2008年1月 | トップページ | 2008年3月 »