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2008年6月

2008年6月28日 (土)

白峯神宮(1)崇徳天皇を祀る神社

京都市上京区今出川通にある白峯神社のご祭神は、崇徳天皇と淳仁天皇。

崇徳天皇は、鳥羽天皇の皇子としてご生誕、保安4年に第75代の天皇に即位されましたが、保元の乱により、讃岐に配流され、長寛2年に45歳で崩御、白峰山陵に奉葬されました。

讃岐に配流されてからは、髪も剃らず、爪も切らずに日本国の大魔縁になって朝廷を呪い続けたと伝えられています。
崩御されてから大火事や不穏な事件が頻繁に起きたため、崇徳天皇の祟りと恐れられ、明治天皇が崇徳天皇の霊を鎮めるために、白峯神宮を創建しました。

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2008年6月22日 (日)

恋塚浄禅寺

京都市南区にある恋塚浄禅寺は京都のお盆行事「六地蔵」の4番目。
入り口の石碑がサツキに囲まれていました。

鳥羽離宮の北面の武士・遠藤盛遠は、源渡の妻・袈裟御前に横恋慕し、夫を殺そうと企みます。
しかし、袈裟御前は夫をかばう為、自分が夫の身代わりになって盛遠に殺されてしまいます。
盛遠は、それを悔いて出家し、文覚と名乗り、日本全国を荒行して廻りました。
恋塚は、袈裟御前の首を埋めた塚とされています。

文覚は、頼朝に挙兵を奨め、高雄の神護寺を再興しました。


本堂手前に袈裟御前の五輪石塔と恋塚碑があります。

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伏見の恋塚寺はこちらをご覧下さい⇒恋塚寺Img_4129_c Img_4142_c Img_4130_cImg_4138_c Img_4135_c

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2008年6月15日 (日)

地震による文化財への被害は?

中尊寺本堂の壁にひび 義経堂の鳥居倒壊 平泉


 世界遺産登録を目指す平泉町では大きな被害はなかったが、中尊寺では本堂の壁にひびが入り、石灯籠(とうろう)3基が転倒。国指定重要文化財の釈尊院五輪塔の最上段が落下したが、破損はなかった。

 毛越寺は宝物館内の仏像などが動いたため、同館の公開を休止。本堂で行われる予定だった修学旅行生の座禅体験もすべてキャンセルした。達谷窟(たっこくのいわや)では仏具が数点破損し、一関市の国史跡・骨寺村荘園遺跡の一つ、山王窟の表土岩石が崩れた。

 長野県上田市から車で平泉町を訪れた久世望さん(77)は「どうしても中尊寺を見たかったので来た。今日中に戻れるだろうか」と心配そうに話した。

 岩手・宮城内陸地震で仙台市の陸奥国分寺薬師堂の欄間が落下するなど、国指定の重要文化財や史跡など12件に被害があったことが14日、文部科学省の調査で分かった。

 文科省によると史跡は北上市の江釣子古墳群の石積みが一部崩壊するなど本県、宮城県の4件に被害が出た。(岩手日報より)

 文化財の世界遺産登録を目指している平泉町では、源義経を祭った義経堂の鳥居が倒壊したもよう。(FNNニュースより)

昨日に続き地震関連のニュースです。
ついこの前、平泉は世界遺産登録が見送りになったとのニュースを聞いて残念に思っていたところでした。
過去にも天災や戦火により、文化財が消失したり、被害にあったりを繰り返してきたわけですが、貴重な財産ができるだけ最小限の被害で済むように今後も守っていって欲しいです。

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2008年6月14日 (土)

東北で大地震

十四日午前八時四十三分ごろ、北海道から中部までの広い範囲で地震があり、奥州市と宮城県栗原市で震度6強の揺れを観測した。気象庁によると、震源地は岩手県内陸南部で、震源の深さは約一〇キロ、地震の規模(マグニチュード=M)は7・0と推定される。

 この地震で震源地に近い一関市厳美町の国道342号矢櫃ダム付近で土砂崩れが発生し、車が埋まり一人がけがをしたほか、家屋一棟が倒壊し、負傷者が出たもよう。同市東山町では地震に驚いて外に出た男性が車にはねられ死亡した。奥州市内では江刺区の保育所で窓ガラスが割れ、けが人が出たほか、胆沢区では市道が陥没した。

 東北電力によると、一関市や奥州市などで午前九時現在、二千五百八十一戸が停電している。

 JR東日本によると、東北新幹線などは全線で運転を見合わせた。東北道、秋田道でも一部通行止めの措置が取られた。

 主な各地の震度は次の通り。

 震度6強=奥州市衣川区、宮城県栗原市

 震度6弱=奥州市胆沢区、宮城県大崎市

 震度5強=一関市山目、平泉町平泉、奥州市水沢区、同江刺区、同前沢区、金ケ崎町西根、北上市二子町

 震度5弱=一関市花泉町、同千厩町、同室根町、藤沢町、西和賀町

【写真】地震で書籍が散乱する一関市立一関図書館=14日午前9時半ごろ

まずは、被害に遭われた方にお見舞い申し上げます。

岩手は三年前に義経の史跡めぐりで訪れました。
その時、タクシーの運転手さんが「ここはいつ大地震が来ても不思議でないところ」
と言っていたのを思い出しました。
この地震で、義経の第二の故郷・平泉でも義経堂にも被害が出ているそうです。
義経のお墓(胴塚)がある栗原市は土砂崩れや民家倒壊など被害が大きいようですね。
既に2人が死亡、67人が怪我と伝えられています。
今後も余震が心配されていますが、これ以上被害が広がらないことを心よりお祈りしています。

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2008年6月10日 (火)

源朝長(3)昔話に語り継がれる朝長と頼朝の絆

 静岡県磐田市、袋井市、森町に伝わる昔話・「中遠昔話」の中にも朝長の墓のことが登場しています。

1195年の10月のこと。鎌倉に幕府をつくった源頼朝は、諸国を統一したあと、東海道を通って京都へ上がることになりました。
 その頃の幕府の役人が記した道中日誌に、四日間の空白があります。この間に頼朝は、兄の
朝長の墓を供養(放生会)したと伝えられています。
 朝長の墓があるのが、今の袋井市(友永)の
積雲院門前。京都に上がる頼朝は、かつて父や兄と共に東国へ逃げたときの苦しさを思い出し、その途中で命を落とした兄の墓へ詣でて供養したのです。
 供養のための放生会は、近くの池のほとりで大々的に行われ、黄金の札をつけた数多くの鶴が放たれました。以来、人々は、この池を
鶴ヶ池と呼ぶようになったということです。鶴の寿命は千年。江戸時代、羽に札をつけた鶴を捕まえた人が、「おそらくは、頼朝が放生会で放った鶴だろう。」と言ったという話が、幕末期の随筆に書かれています。

(「磐田昔ばなし」より)

鶴ヶ池についてはこちらをご覧ください。⇒鶴ヶ池

また鶴ヶ池のすぐ近くには日本の秘境100選の一つであるトンボの楽園・桶ヶ谷沼があります。

桶ヶ谷沼についてはこちらをご覧ください。⇒桶ヶ谷沼

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2008年6月 4日 (水)

源朝長(2)三川と青墓を結ぶ交流

朝長の首と胴体が離れて葬られていることで、首が祭られている袋井の三川小と岐阜の青墓小で平成5年より交流活動が行われているそうです。

 源平合戦で命を落とした源氏の若武者、源朝長(1143~1160年)の墓がある袋井市友永の積雲院を28日、岐阜県大垣市立青墓小の6年生75人が訪れた。地元の袋井市立三川小の6年生41人が出迎え、朝長を祭る五輪塔にともに手を合わせた。
 平治の乱に敗れ京都を逃れた朝長は手傷を負って死亡。青墓小近くに葬られたが、後に首だけが家臣の手で同院に運ばれた。二つの墓が縁で両地区の住民が交流。93年から両校の相互訪問が続いている。
 郷土史家の清水忠雄さん(85)=袋井市在住=が「命日の12月28日には毎年、まわり念仏と呼ばれる祭礼が行われている」などと説明。両校児童や付き添いの保護者らが熱心に聴き入った。
 子供たちは墓参の後、周辺の製茶工場やメロン栽培農家などを訪ね交流を深めた。

(5月29日11時1分配信 毎日新聞より)

袋井三川小学校と大垣青墓小学校との交流について

袋井三川小学校HP  

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2008年6月 1日 (日)

源朝長(1) 積雲院の朝長の墓 

静岡県袋井市の積雲院にある源朝長の墓を訪ねました。

積雲院は、文治元年(1185)に
源頼朝が、兄の朝長の菩提を弔うために建立したと伝えられる古刹です。
天正16年(1588)に可睡斎の和尚によって曹洞宗に改められました。
参道入り口の廟堂には、頼朝の父・
義朝と二人の兄・義平朝長の供養塔とされる五輪塔があります。
平治元年(1159)の平治の乱で、戦いに矢濡れた
朝長は、父や兄と供に大垣市の青墓まで逃げて来ました。
しかし、その途中で
朝長は足に深い傷を負ってしまいます。
足手まといになることを察知した
朝長は、自害する覚悟を伝え、父に介錯を頼みました。
その後、父・
義朝は尾張の国で、家来・長田忠致の裏切りに
遭い、殺されてしまいます。
朝長の遺体は大垣市青墓に葬られましたが、平家に発見され、
墓はあばかれ、朝長の首は京都の六条河原で
義朝の首と供にさらし首にされました。
これを知った家来の
大谷忠太は、首を抱いて自分の故郷である袋井市三川に葬りました。
こうして
朝長の首は袋井に、胴体は大垣の青墓に別々に葬られることになったのです。

積雲院がある「友永」という地名は
朝長に由来するといわれ、
友永の南には「大谷」という地名も残されています。
毎年8月15日の夜には
朝長の霊を弔うため、村人によって御沙汰神社から供養塔までの間を、念仏を唱えながら渡る「源朝長公御祭礼」と呼ばれる廻り念仏が行われています。
この祭礼は、悪天候によって行われなかった年はなかったと伝えられています。

 積雲院   朝長の墓   義朝・義平・朝長の供養塔     Img_4270_c_2 Img_4282_2 Img_4269_c_2 Img_4280_2 Img_4276_3

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