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2008年6月 1日 (日)

源朝長(1) 積雲院の朝長の墓 

静岡県袋井市の積雲院にある源朝長の墓を訪ねました。

積雲院は、文治元年(1185)に
源頼朝が、兄の朝長の菩提を弔うために建立したと伝えられる古刹です。
天正16年(1588)に可睡斎の和尚によって曹洞宗に改められました。
参道入り口の廟堂には、頼朝の父・
義朝と二人の兄・義平朝長の供養塔とされる五輪塔があります。
平治元年(1159)の平治の乱で、戦いに矢濡れた
朝長は、父や兄と供に大垣市の青墓まで逃げて来ました。
しかし、その途中で
朝長は足に深い傷を負ってしまいます。
足手まといになることを察知した
朝長は、自害する覚悟を伝え、父に介錯を頼みました。
その後、父・
義朝は尾張の国で、家来・長田忠致の裏切りに
遭い、殺されてしまいます。
朝長の遺体は大垣市青墓に葬られましたが、平家に発見され、
墓はあばかれ、朝長の首は京都の六条河原で
義朝の首と供にさらし首にされました。
これを知った家来の
大谷忠太は、首を抱いて自分の故郷である袋井市三川に葬りました。
こうして
朝長の首は袋井に、胴体は大垣の青墓に別々に葬られることになったのです。

積雲院がある「友永」という地名は
朝長に由来するといわれ、
友永の南には「大谷」という地名も残されています。
毎年8月15日の夜には
朝長の霊を弔うため、村人によって御沙汰神社から供養塔までの間を、念仏を唱えながら渡る「源朝長公御祭礼」と呼ばれる廻り念仏が行われています。
この祭礼は、悪天候によって行われなかった年はなかったと伝えられています。

 積雲院   朝長の墓   義朝・義平・朝長の供養塔     Img_4270_c_2 Img_4282_2 Img_4269_c_2 Img_4280_2 Img_4276_3

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源朝長」カテゴリの記事

コメント

おはようございます。

源氏苦難の時期だったんでしょうね。

勉強になりました。

静岡は東京から近いといえば近いので、バイクで出かけたいと思います。

感動さん、おはようございます。

義経の兄弟の史跡が地元から近いところに
あってびっくりです!

感動さんはよくバイクで出かけられていますね。
静岡までなら軽いエクササイズですか?(笑)
ぜひ遊びにいらして下さい!

平治の乱で敗れて、途中ではぐれた頼朝は命が助かり、父と共に逃げた義平と朝長は死ぬ運命になったのですね。
頼朝がはぐれたのは滋賀県の大津市から守山市のあたりで、私の家の近くに頼朝を捕まえようとして逆に斬られた「源内」という人のお墓があります。

merryさん、コメントありがとうごさいます。

義経の兄弟は不幸な運命を辿った人が
多いですね。
まあそういう時代だったということも
ありますが。

源内のお墓、merryさんの近くにあるのですか!?
滋賀に遊びに行った時に、ぜひ連れて行って
ください!

地元の歴史を調べていたら、しずかさんのブログを見つけました。

源朝長公御祭礼のことをもっと知っていただいたら次回遊びに来てくださった時に楽しさが倍増するかなと思い、少々お節介ではありますがメールします。

源朝長公御祭礼は、毎年8月15日に御沙汰神社と積雲院で笹を持った子どもたちが廻りながら念仏を唱えるものです。
念仏は、守り役であった大谷忠太が、朝長公が幼い頃歌って聞かせた子守歌と言われ、「おおがめ おおがめ おんまつり ほうのなかのかえるが あっちをむいては げろげろ こっちをむいては げろげろ…」と唱えています。
見学している人たちは、頭に帽子や手ぬぐいなどをかぶっていてはいけないというルールがあり、念仏の際に子どもたちが持っていた笹を家の玄関に飾っておくと厄除けになる言われています。
この笹を持って念仏を唱えるという役は誰もができるというわけではなく、実両親が健在している小学5年生から中学1年生の子どもたちとなっています。

御沙汰神社は、源頼朝公が「自分の兄の墓参りの際「ご無沙汰した」と言ったことからつけられたそうです。この神社は、生まれた干支と名前を言ってから願い事をすると叶うと言われており、叶った時には、サラシに干支と名前を書いて奉納するといいそうですよ。

北の谷さま、源朝長公御祭礼のことについて詳しく教えていただいて
ありがとうございます。
御祭礼の様子は、実際に見た地元の方にしかわかりませんから
聞かせていただきてありがたく思います。
御祭礼にはきちんとしたルールがあるのですね。
いつかその御祭礼を見てみたいです。

また、御沙汰神社の由来についてもありがとうございます。
「御無沙汰」⇒「御沙汰」
なるほど、納得しました!

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