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2009年1月

2009年1月30日 (金)

石清水八幡宮(4)頼朝手植えの松

景清塚を過ぎ、二の鳥居を越えた絹屋殿の東に源頼朝手植松と書かれた石碑と、一本の松があります。
現在のは二代目の頼朝松で、初代の樹齢700年余りの松は、昭和22年に落雷により燃えてしまったそうです。その初代の松は、頼朝奉納の伝承を持つ「六本松」の唯一の生き残りとされていただけに、落雷による焼失というのは、非常に残念なことですね。
「吾妻鏡」には、頼朝が、石清水八幡宮を参拝したことが記されていて、計5回も訪れているそうです。
そのうち、一回は、妻・北条政子と娘を連れての参拝、そして長男・頼家を連れての参拝もあったとのこと。
頼朝は、鎌倉から持って来た六本の松の苗木を石清水八幡宮に植え、ここから持ち帰った松を、鶴岡八幡宮の境内に植えたといいます。

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2009年1月17日 (土)

石清水八幡宮(3)景清塚

行きはケーブルを利用したので、帰りは徒歩で降りることにしまた。
まず目を引くのが参道沿いにある石灯籠です。
形がまちまちで、不揃いなのは初めて見ました。
三ノ鳥居をくぐり、竹林の脇を通り、12月でもまだ紅葉の残る道をひたすら下へ進んで行くと、表参道から石清水八幡宮へ向かう分岐点に「旧跡 かげきよ」という石碑と手水鉢があります。
「かげきよ」は、平氏の
悪七兵衛景清に由来し、平家滅亡後、石清水八幡宮に参詣に来た頼朝を、待ち伏せしましたが、頼朝は、駒返り橋で引き返し、事なきを得たという説があるそうですが、石清水八幡宮のHPでは、この話は作り話にすぎないと書かれてます。
ここは、かつて、
瀬織姫を祀る祓谷社があり、6月と12月の大祓では、昔、人形を流す祓いの行事が行われ、参拝人もこの清水に自分の影を写して心身を祓い清めました。
「かげきよ」は、「影清め」「姿お清める所」という意味で、
手水鉢はその名残を留めているとのことです。Img_5834_c Img_5864_c
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2009年1月 7日 (水)

新年のご挨拶

皆さま、明けましておめでとうございます
今年も引き続き、当ブログの応援よろしくお願いします。
最近は更新が一段とスローペースになっていますが
ネタはまだまだありますので、たま~にのぞいて見てやってください
今年もよろしくお願いします

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