静岡の旅(2)梶原景時終焉の碑
梶原公園の頂上には、お休み処の横に梶原景時終焉の碑があります。
景時は、石橋山の戦いで頼朝を救ったことで重用されましたが、一方、義経とは常に対立関係にあり、頼朝に讒言して、義経を追い詰めた大悪人と評せられています。
鎌倉幕府では権力を奮いましたが、頼朝の死後、梶原一族は没落していきます。
1199年11月、景時は、三浦義村、和田義盛ら御家人66人連名の弾劾を受け、鎌倉から追放され、所領の相模国・一ノ宮へ退きます。
1200年正月、景時、嫡男・景季は、一族と供に一ノ宮を出て、上洛しようとしますが、駿河国清見ヶ関付近で、鎌倉の命を受けた地元の武士達と合戦になり、次々と家討ち死にしてしまいました。
景時と息子・景季、景高は、山中に退いて戦った後、家来の長尾忠光の介錯で切腹して果てました。
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義経を失脚させた影の人物として、あまりいいイメージを持ってなかったのですが、こうして梶原景時親子の最後の姿を知ると、少し気の毒な気がしました。
投稿: merry | 2009年2月27日 (金) 20時54分
merryさん、コメントありがとうございます。
ドラマの中でも、景時というとやはり
悪役イメージですよね。
そういう彼もまた失脚させられる・・・
無常を感じますね。
投稿: しずか | 2009年2月28日 (土) 00時10分