静岡の旅(8)梶原堂(1)
梶原山公園から真っ先にタクシーで向かったのが、この梶原堂です。
元々は、梶原山龍泉院という梶原景時を本尊とした梶原一族をまつるためのお寺でした。
梶原一族が滅亡してから160年経った1360年12月28日のこと、景時の8代の孫である梶原景慶が駿河に赴任して来ました。
景慶は、足利尊氏の弟である直義の援助を得、矢崎山の山腹に龍泉院を建て、景時をまつりました。
1822年、龍泉院は火災により全焼しますが、景時、長男・景季、次男・景高、源頼朝、頼家の位牌と如意輪観音像、毘沙門天像は無事でした。
その時の住職が、梶原家と縁のある上杉家に寺院の再興を頼み、御堂を贈られました。
その後、梶原堂は何回かの復元を得、昭和37年、矢崎山が削られるにあたり、御堂を今の場所に移転しました。
現在の鉄筋の御堂は、この時に再建され、中には景時、頼朝の位牌と、如意輪像のみが納められています。(清水探訪参照)
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>梶原家と縁のある上杉家に寺院の再興を頼み
梶原家と上杉家はつながりがあるのですね。
昔は、政略結婚などで複雑な姻戚関係が沢山ありますね。
それにしても、180年後の8代目・・ですか。
ご先祖に誇りを持ち、大切にする気持ちが立派ですね。
投稿: merry | 2009年5月21日 (木) 20時44分
merryさん、コメントありがとうございます。
梶原家と上杉家とのつながり・・・今まで
知りませんでした。
新しい発見です!
昔の複雑な姻戚関係は、頭に入れようとしてもなかなか覚えられなくて・・・(汗)
>ご先祖に誇りを持ち、大切にする気持ちが立派ですね。
現代人にはこういう気持ちが薄れてきていますね。
投稿: しずか | 2009年5月21日 (木) 22時38分
こんにちわ。
たいへんご無沙汰いたしております。
地名と名字がリンクしていることがよくありますが、都内の都電荒川線の駅に「梶原」があります。北区と荒川区の境辺りです。梶原の駅名はこの他には全国何処にも見当たらないようですが、北区のこの地名と梶原氏と何か関連をご存知でしょうか?鎌倉とか伊豆周辺ならば関係ありそうですが・・・。
投稿: 石原裕子 | 2009年5月22日 (金) 15時57分
石原さん、お久し振りです!
コメントありがとうございます。
>都内の都電荒川線の駅に「梶原」があります。北区と荒川区の境辺りです。梶原の駅名はこの他には全国何処にも見当たらないようですが、北区のこの地名と梶原氏と何か関連をご存知でしょうか?
さすがよくご存知ですね!
それは知りませんでした。
もしかしたら何か関係があるのかも
しれないですね。
ちょっと調べてみますね!
何かわかったらお知らせします。
情報ありがとうございました。
投稿: しずか | 2009年5月22日 (金) 18時55分
石原さんへ
調べたらこんなページを見つけました。
ご覧になってください!
http://joe.ifdef.jp/002tokyo/067kajiwara/kajiwara.html
http://www.toden-net.com/rekisi03.html
投稿: しずか | 2009年5月22日 (金) 23時40分