« 2009年5月 | トップページ | 2009年7月 »

2009年6月

2009年6月22日 (月)

六波羅蜜寺 清盛塚

六波羅蜜寺は、平家一門が邸宅を連ねた六原に建つ西国第17番札所で空也上人が天暦5年に開きました。
宝物館には、六体の阿弥陀仏を口から吹き出している姿の空也上人像をはじめ、定朝作の地蔵菩薩立像、運慶作の地蔵菩薩像、
平清盛坐像などの重文の仏像群があります。
また、阿古屋塚の左隣りには、
清盛塚と呼ばれる清盛の供養塔があります。
この六波羅蜜寺がある町の名前は轆轤町(ろくろちょう)と言います。
近くには西福寺があり、その角は六道の辻と呼ばれ、この世とあの世の堺い目とされていました。
ここから東はかつて鳥辺野という葬送地で、火葬や土葬もせず、野原に死体を投げるだけで、鴨川の河原は死体で溢れている時代もあったそうです。
この六道に辻辺りも死体を投げ捨てていくことがあったとか。
そんな歴史から、轆轤の由来は、髑髏(どくろ)という説があるそうです。

人気ブログランキング参加中
 投票お願いします!
人気ブログランキング

FC2ブログランキング参加中
 投票お願いします!
FC2ブログランキングPhoto Img_6112 Photo_2

| | コメント (6)
|

2009年6月 6日 (土)

六波羅蜜寺 阿古屋塚

久し振りに京都の史跡に戻って、六波羅蜜寺の阿古屋塚を紹介します。

阿古屋塚とは、阿古屋の菩提を弔うために鎌倉時代に建立された供養塔で、清盛の供養塔の右側に建っています。
阿古屋とは、平家の侍・悪七兵衛星景清の恋人の遊女であり、歌舞伎の「出生景清」「壇ノ浦兜戦記」の場面「阿古屋の琴責め」に描かれています。


阿古屋の琴責め

平家の落ち武者、悪七兵衛景清の行方を探すために思い人で五条坂に住む白拍子阿古屋を捕らえ、代官畠山重忠は彼女が景清の所在を心に秘めていることを知っていたが、弾かせた三味線、琴の調べに一点の乱れのないことに感動し彼女を釈放する。

阿古屋塚と呼ばれているこの石塔は、台が古墳の石棺の蓋石で、上は鎌倉時代の宝塔。葬送地の鳥辺野の入り口に位置するこのエリアで、下火(あこ)という点火作法が行われていたことから、下火(あこ)⇒阿古屋(あこや)になったのではないかという説があります。それがいつの間にか歌舞伎の遊女・阿古屋に結び付けられたのかもしれません。

人気ブログランキング参加中
 投票お願いします!
人気ブログランキング

FC2ブログランキング参加中
 投票お願いします!
FC2ブログランキングImg_6108_c Photo_2 Photo

| | コメント (2)
|

« 2009年5月 | トップページ | 2009年7月 »