六波羅蜜寺 清盛塚
六波羅蜜寺は、平家一門が邸宅を連ねた六原に建つ西国第17番札所で空也上人が天暦5年に開きました。
宝物館には、六体の阿弥陀仏を口から吹き出している姿の空也上人像をはじめ、定朝作の地蔵菩薩立像、運慶作の地蔵菩薩像、平清盛坐像などの重文の仏像群があります。
また、阿古屋塚の左隣りには、清盛塚と呼ばれる清盛の供養塔があります。
この六波羅蜜寺がある町の名前は轆轤町(ろくろちょう)と言います。
近くには西福寺があり、その角は六道の辻と呼ばれ、この世とあの世の堺い目とされていました。
ここから東はかつて鳥辺野という葬送地で、火葬や土葬もせず、野原に死体を投げるだけで、鴨川の河原は死体で溢れている時代もあったそうです。
この六道に辻辺りも死体を投げ捨てていくことがあったとか。
そんな歴史から、轆轤の由来は、髑髏(どくろ)という説があるそうです。
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六波羅の平家一門の邸宅、見てみたいものです。六波羅一帯は今は全く面影ありませんが、当時はさぞかし壮麗だったんでしょうねえ。しかしすぐ隣が鳥野辺なのが、急速に台頭してきた平家の立場を物語っているような気がします。やはり平家源氏はどんなに頑張っても公家とはハッキリ区別されていたのでしょうね。あの辺りに平家の邸宅を出来る限り忠実に再現してくれたら・・・いいですね
投稿: 石原裕子 | 2009年7月 1日 (水) 11時53分
ブログランキングから参りました
少し前まで京都で仕事しており、なつかしさに書かせていただきました
六道さんは、ほんとに不思議な場所です
幽霊子育て飴なんかもありますし。
失礼しました
投稿: 相模守高時 | 2009年7月 1日 (水) 12時39分
石原さん、お久し振りです!
コメントありがとうございます。
>すぐ隣が鳥野辺なのが、急速に台頭してきた平家の立場を物語っているような気がします。
全く私も同感です。
平家が土地を気にせず、邸宅を建てたこと、
清盛がもののけに悩まされたことなどが、その後の衰退に結びついているような気がします。
投稿: しずか | 2009年7月 1日 (水) 23時26分
相模守高時さん、はじめまして!
訪問&コメントありがとうございます。
源平史跡巡りは、京都を中心にしています。
中心部はだいぶ廻ってしまいまったので、また他の土地まで足を延ばしてみたいと思っています。
六道の辺りはよくうろうろするのですが、まだ幽霊子育て飴を食べたことがないので、次回はぜひ試してみたいです。
またぜひブログに遊びにいらしてくださいね。
投稿: しずか | 2009年7月 1日 (水) 23時31分
ここには、西国33所巡りで行ったので、宝物館には入りませんでした。
あの有名な清盛の坐像・・
機会があれば、是非見たいですね。
投稿: merry | 2009年7月 3日 (金) 20時57分
merryさん、こんばんは!
コメントありがとうございます。
清盛の坐像、merryさんならてっきりもうご覧になったかと思っていました。
私は数年前に見ましたが、その時宝物館がとても混んでいたのでゆっくりは見られませんでした。
またの機会に落ち着いて見学したいです。
投稿: しずか | 2009年7月 3日 (金) 21時15分