日食を利用した平家
今日は皆既日食の話題で持ちきりでしたね
ちょうど夕方のニュースを見ていたら、キャスターの方が日食と平家の話をしていました。
あいにく話の途中で地方版に切り替わってしまい、最後まで聞けませんでしたが
「源平盛衰記」に
「天俄曇りて日の光も見えず、闇の夜の如くに成りたれば、源氏の軍兵日蝕とは知らず、いとど東西を失て舟を退て、いづち共なく風に随つて遁行。
平氏の兵共は兼て知にければ、いよいよ時を造り重て攻戦。」
という件があります。
時は1183年、戦いの舞台は岡山県倉敷市玉島
戦いの真っ最中に日食が起こり、それを知らない源氏は突然の暗闇にパニック
元々海での戦が得意な平家は、この日食を利用し、源氏に勝つことができたといいます。
しかし、なぜ平家だけが日食を知っていたのか?
それは、当時平家が宋を貿易を行っており、大陸から暦を持って来たことによるということのようです。
この時点では、まさか平家が壇ノ浦で大敗するとは思ってもいなかったでしょうね。
また、この戦の名前は、源平水島合戦とか水島の戦いといいます。
Wikipediaの説明では
当時、平氏軍の拠点は讃岐の屋島にあった。平氏を追討するため、寿永2年(1183年)9月20日に源義仲軍は都を出発して屋島方面へ進軍していったが、閏10月1日、四国へ渡海する前に、水島付近で平氏軍に敗れた。
平氏は、軍船同士をつなぎ合わせ、船上に板を渡すことにより、陣を構築した。源平両軍の船舶が接近し、互いに刀を鞘から抜いて、今にも白兵戦を始めようかという時、平氏の射手が源義仲軍へ矢を浴びせかけて戦闘が開始した。平氏軍は船によく装備された馬を同乗させており、その軍馬とともに海岸まで泳いで上陸した。最終的に平氏軍は勝利し、源義仲は京都へ敗走することとなった。この勝利により平氏軍は勢力を回復し、再入京を企て摂津福原まで戻り、一ノ谷の戦いを迎えることとなる。
なお、この戦いの最中に95%ほど欠けた金環食が起こったことが資料によって確認されている。
と書かれています。
また、このことが単なる物語でなかったことを立証した方達がいるそうですよ。
天文軌道計算の博士たちが緻密な計算を行い、地図に書き込んだところ、源平水島合戦における日食の事実が検証されたのこと。
800年も前のことがこのように蘇るのは素晴らしいことですね。
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