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2009年10月24日 (土)

神戸の源平史跡を訪ねて(7)薬仙寺  萱の御所跡

清盛橋から薬仙寺へ。

この辺りはもと清盛の別荘・萱の御所があったところで、清盛が後白河法皇を幽閉したことから、籠の御所(牢の御所)とも呼ばれたと伝えられています。
萱の御所の遺跡は、清盛塚の傍らにありましたが、運河拡張によって河中に没してしまい、再建されたとのことです。

※萱の御所の位置については、平教経邸であるという説もあります。

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平清盛」カテゴリの記事

コメント

運河拡張で水没しても、ちゃんと心ある人達が再建してくださっているのですね。
歴史を大切にする人達の努力によって、代々伝えられてきたのでしょうね。

merryさん、コメントありがとうございます。
史跡巡りをしていると、よく石碑の位置が移転していることがありますが、元の位置も後世まで正確に伝えていかなければなりませんね。

法皇を幽閉してしまうくらいですから、

清盛の絶頂期だったのですね。

福原に都を移したり、やりたい放題

していた清盛の権力のすごさを示しています。

ラメールさん、コメントありがとうございます。

当時の平家の勢いが伝わってくる
ような出来事ですね。
先日、平家の落人村へ行って
来ました。
このシリーズが終わったらアップ
する予定です。

いよいよ平家の落人部落ですか、

「おごれる者、久しからず」ですね。

どこに行かれたか楽しみです。

ラメールさん、日光旅行のついでに

寄ることができました。

神戸の史跡は、たくさん廻ったので、アップ

するのはまだ先になりそうですが・・・

薬仙寺の霊水を献上した場所は兵庫の福厳寺。
後醍醐天皇が隠岐から帰られる途中宿泊された場所である。薬仙寺とは深くゆかりのある寺院である。薬仙寺に参拝するときは是非こちらにも参拝することをお勧めします。
南禅寺の法皇寺〔牧護庵〕を創建した、約翁は神戸の福厳寺も開山しています。
神戸市兵庫区門口町の福厳寺は後醍醐天皇の史跡として有名です。
また神戸の港の歴史においても重要な地位をしめます。境内には
塔頭二ヶ寺、起雲庵、常牧庵がありましたが、明治後合併廃寺さ
れましたが、名目的に方丈〔内殿〕は起雲庵と言う事になりまし
た。また和田〔和田岬〕にあった尼寺、円通寺〔円通庵〕も現在
は福厳寺に合併されています。

↑にコメントいただいた方へ

福厳寺について詳しく教えていただき、ありがとうございます。

後醍醐天皇が、福厳寺の行在所で、ひどい頭痛に悩まされた時、薬仙寺の霊水を献上したところ。頭痛が快癒したことから、天皇より、医王山の山号をくだされたというゆかりがあるのですね。
次回神戸に行く機会があったら、福厳寺にもお参りしてみたいと思います。

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