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2009年11月 6日 (金)

神戸の源平史跡を訪ねて(8)薬仙寺 後醍醐天皇御薬水 薬師出現古跡湧水

薬仙寺境内には、後醍醐天皇御薬水 薬師出現古跡湧水の史跡もあります。

当寺本尊薬師如来示現の霊泉である。
元弘の変の時、後醍醐天皇が隠岐島より還幸の途中、兵庫で病床に伏した。
当寺の住職が、この霊水を薬水として献上し、服用させたところ、たちまちのうちにご快癒されたと伝えられる。(案内板より)

開創当初は、法相宗寺院でしたが、後に天台宗に、南北朝時代には時宗寺院になりました。
後醍醐天皇が霊水で快癒したことから現寺号になったといわれています。

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後醍醐天皇」カテゴリの記事

コメント

昔の水は今と違ってきれいだから、天然のミネラルもたっぷりあって、それだけでパワーもあったのでしょう。
そんな時代のお水、飲んでみたいですね。

merryさん、今日はたくさんコメントを

入れていただいてありがとうございました。

天皇の病気が治った水と聞けば

試してみたくなりますね!

そう思うだけでも治りそう(笑)

この井戸は、見たように思いますが、
こんな言われがあったのは知りませんでした。
さすが、史跡訪問の達人、見落としませんね。

ラメールさん、コメントありがとうございます。

史跡巡りをする時、いつも

ついでに何かないかな~?って

見渡して、とりあえず写真は撮るように

しています(笑)

後醍醐天皇が福厳寺に泊まられて置きながら、
わざわざ薬仙寺から水をとりよせたか?
ご利益とかの理由ではなく、
福厳寺で頭が痛くなったことを、
何かを盛られたと考えたようです。
そしてわざわざ薬仙寺より水を取り寄せたのが真実です。福厳寺は鎌倉幕府の菩提寺建長寺の関連で大覚という坊さんの流れで、後醍醐天皇は信用していなかった節があります。
鎌倉幕府は後鳥羽・後醍醐と二人の天皇を隠岐に
流していますが、
後鳥羽天皇が毎夜夢見て果たせないまま崩御された
「帰京」を後醍醐天皇は僅か一年余で実現されたのでしたね。
かって皇位にあった身で流人生活を送ったのはこの他、
淳仁天皇、崇徳上皇、土御門上皇、順徳上皇ですが、
配流地から脱出したのは後醍醐天皇だけですものね。
すざましいまでの執念の天皇です。
倒幕を掲げる後醍醐天皇が鎌倉方の密命を受けた使者
によって毒を盛られると考えられたとおもわれます。

臨済宗南禅寺派の福厳寺は後醍醐天皇の史跡
として有名です。また神戸の港の歴史におい
ても重要な地位をしめます。境内には塔頭二ヶ寺、
起雲庵、常牧庵がありましたが、明治後合併廃
寺されましたが、名目的に方丈〔内殿〕は起雲
庵と言う事になりました。また和田〔和田岬〕
にあった尼寺、円通寺〔円通庵〕も現在は福
厳寺に合併されています。

↑にコメントくださった方へ

当ブログへの訪問、また詳しい説明をありがとうございました。

昔の天皇は、毒を盛られることによる暗殺の心配を
しなければならなかったのですね。

この神戸の旅では、一日にかなりの数を回ったので
次回は、一箇所にもっと時間をかけて丁寧に回りたいと
思います。

また記事への補足などありましたら、よろしくお願い致します。

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