神戸の源平史跡を訪ねて(11) 来迎寺 「松王丸の墓と松王小児入海の碑」
築島寺とも呼ばれる来迎寺は、経島築造の際、人柱となった松王丸の菩提を弔うために清盛が建立したといわれている。
「築島寺縁起」による松王丸伝説
清盛の経島築造は、なかなか思うように進まず、失敗続きであった。
そこで、一町に一路ずつの人柱を立てることにし、生田の森に関を作って、三十人の旅人を捕まえようとした。ここに、香川の城主・大井民部の一子、十七歳の松王が、自分が三十人の身代わりになると申し出た。そこで、経石と共に、松王を石の櫃に入れて海に沈めると、見事に陸地が出来上がったという。清盛は、松王に感謝し、千僧を集めて供養した。すると、松王が如意輪観音の姿になって現れたという。
感激した清盛は、ここに壮麗な寺院を建てた。
「平家物語」では、公卿達に人柱を進められた清盛はそれはあまりにも罪深いと断り、石に一切経を書いて沈め、島を築いたので「経の嶋」と名付けられたと書かれている。
また、「源平盛衰記」では、工事が失敗続きであったため、海竜王をなだめるために人柱を立てることにした。白鞍を置いた白馬に童子を乗せ、一切経を書いた石とともに海に沈めたという人無しらと経石併用説をとっている。
(源平史跡ハンドブック参照)
境内には、松王丸小児入海の碑と松王丸の墓(供養塔)があります。
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