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2010年5月

2010年5月13日 (木)

兜岩

兜神社の境内には、兜岩があります。
兜岩の由来によると

現在社前左にある兜岩の由来には諸説あるが、
その裏付けとなるものは何も残っていない。

(1)源義家奥州より凱旋の際、東夷鎮定のため、
兜を楓川のほとりに埋め、一塊の塚となし、
これを兜塚といった。

(2)前九年の役の頃、源義家が東征のみぎり
岩に兜を懸けて戦勝を祈願したところから
この岩を兜岩と呼ぶようになった。

(3)俵藤太秀郷(=藤原秀郷)、
平親王(平将門の尊称、天慶三年(940年)二月十四日戦死)
の首を打って、兜に添えて是まで持来れるが、
兜をば茲に埋めて塚となし兜山と云う。

よく見ると、動物のようにも見えるし、不思議な形の岩ですね。

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2010年5月 4日 (火)

兜神社

鎧の渡し跡から東京証券取引所へ向かうと日本橋川の辺りに兜神社があります。ビルの合間にひっそりと建っていますが、商業の神様として有名な神社です。
兜神社世話人会の方によってまとめられた「兜神社」の由来という冊子をいただいて来たので抜粋します。

江戸時代

1845年、「楓川鎧渡古跡考」の地図に、鎧稲荷(平将門を祭ったのが起源ともいわれている)と兜塚が描かれており、当地の鎮守として、また魚河岸に出入りする漁民により信仰を集めていた。

明治4年

東京商社(三井物産の前身にあたる商事会社)の移転に伴い、鎧神社と兜塚は鎧の渡と兜橋の中間に遷された。この時、株戸塚として祭られていた源義家公の御神霊を、兜神社として社を創建して祀り、更にこの神社は、鎧稲荷と合併して、新たに兜町の鎮守・兜神社として定められた。

明治7年

お祀りする祭神に変更があって、祭神・源義家公の祭祀を廃止して、新たに三井家(兜町一丁目の土地を所有する地主)の信仰していた三囲稲荷神社の境内摂社である福神社より、大国主命と事代主命のご分霊を勧請して合祀した。

明治十一年

東京証券取引所の設立に伴い、当取引所が兜神社の氏子総代となり、以来証券界からの信仰を集めるようになる。

昭和二年

日本橋川と楓川の分岐点の角地・兜橋東詰北側の六十二の敷地(現在の場所)に再度移転し、鉄筋コンクリート造りの社殿を造営した。

昭和四十六年

高速道路の建設に伴い、旧社殿を解体し、現在の鉄筋コンクリート、一間社流造、向拝付きの社殿を造営し現在に至っている。

とこのような経緯があったそうです。

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