神戸の源平史跡を訪ねて(16)能福寺 平相国廟
清盛は、1168年2月11日、ここで出家し、浄海と名を変えました。
平家全盛時代は、「八棟寺」(やとうじ)という名で栄え、平家一門の帰依を集めたそうです。
清盛は、1181年2月4日に京都で亡くなりましたが、能福寺自伝によると、7日に洛東の愛宕で火葬され、遺骨は、清盛の遺言によって、当時の住職・円実(えんじつ)法眼が首にかけて京都から持ち帰り、能福寺の法華堂に納められたと伝えられています。(実際場所は確認されていません。)
かつては、清盛の供養塔(清盛塚)があったようなのですが、今はありません。
しかし、清盛の800回大遠忌記念に造られた平相国廟があります。
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コメント
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清盛がこの能福寺で出家し、ここに納骨する事を遺言したということは、
この地が大変お気に入りだった訳ですね。
京都には海がありませんが、ここにはあります。
海の向こうに繋がる世界を見つめていたのでしょうね。
これって、龍馬と似てません?(笑)
投稿: merry | 2010年8月 2日 (月) 21時26分
merryさん、お忙しい中コメントありがとうございます。
>この地が大変お気に入りだった訳ですね。
たしかにそういえますね。
>海の向こうに繋がる世界を見つめていたのでしょうね。
清盛にしても、龍馬にしても、男のロマンを
感じますね。
投稿: しずか | 2010年8月 2日 (月) 22時32分