三井寺 弁慶の引き摺り鐘
三井寺駅から、琵琶湖疎水沿いに西に向かって10分ほど歩くと、三尾神社が見えてきます。そこを曲がると三井寺(園城寺)の仁王門に突き当たります。
琵琶湖疎水
仁王門
三井寺の名は、「天智・天武・持統」天皇の産湯に用いられたとされる泉があることから、「御井の寺」とよばれ、平安時代に円珍が密教の三部灌頂にこの水を使用し、「三井」とよばれたことに由来します。
壬申の乱に敗れた大友皇子の子である与多王が、父の霊を弔うために、「田園城邑」(でんえんじょうゆう)を寄進して寺を創建し、この文字にちなんで、天武天皇から「園城寺」という勅額を贈られたことが、園城寺の始まりとされています。
衰退していた園城寺を再興したのは、円珍で、園城寺に唐院を建て、唐から持ち帰った経典を納めました。円珍の死後、延暦寺では、円仁派と円珍派が対立。
993年、円珍派が、比叡山を降りて園城寺に入り、その後、山門派(延暦寺)と寺門派(園城寺)の対立や源平の争乱、南北朝の争乱等による焼き討ちなど幾多の法難に遭遇しました。
文禄4年(1595年)、三井寺は、秀吉の怒りに触れ、寺領の没収を命じられ、堂宇は強制的に移築され、廃寺同然になってしまいます。(当時の金堂は、延暦寺西塔釈迦堂として現存しています)
しかし、秀吉の死後直前、再興を許可し、当時の三井寺長吏・道澄が中心となって寺の再興が進められました。(三井寺HP、Wikipedia、滋賀県歴史散歩参照)
食堂
金堂
北政所の寄進により、1599年に再建されました。
閼伽井屋
閼伽井屋は、1600年の建立で、金堂西側奥に金堂と接して建っています。
寺名の由来となった泉が、今もなお音を立てて沸いています。閼伽井屋の正面内部には、左甚五郎作と伝えられる龍の彫刻が施されています。
金堂の奥を上がって行くと、「弁慶の引き摺り鐘」と呼ばれる奈良時代の梵鐘があります。
承平年間(10世紀前半)に藤太秀郷が三上山のムカデ退治のお礼に琵琶湖の龍神より頂いた鐘を三井寺に寄進したと伝えられています。
その後、山門との争いで弁慶が奪って比叡山へ引き摺り上げて撞いてみると 「イノー イノー」(帰りたい)と響いたので、弁慶は「そんなに三井寺に帰りたいのか!」と怒って鐘を谷底へ投げ捨ててしまったといいます。鐘にはひびが入り、乳(ち)が16個引きちぎられ、傷跡も残っています。
また、この鐘は、寺に良くないことがあるときには、にその前兆として鐘が汗をかき、撞いても鳴らず、また良いことがあるときには自然に鳴るといった不可思議な現象が生じたとわれています。
現在は撞かれることもなく金堂西方の霊鐘堂に奉安されています。
(「義経ハンドブック」、三井寺HP参照)
弁慶の引き摺り鐘
弁慶の汁鍋
弁慶の伝説に纏わるものは、豪快なものが多いですね。
また近江八景のひとつ三井の晩鐘は、弁慶の引き摺り鐘の跡継ぎとして、鋳造されたそです。
三重塔
元々は、室町時代初期に建てられた吉野の比蘇寺の塔でしたが、1601年、家康により移築されました。
三重塔の南側にには、円珍の廟所の唐院があり、三井寺のもっとも神聖な場所とされています。
唐院灌頂堂
長日護摩堂
こちらも石山寺と同様、境内が広く、時間に余裕がないと廻りきれません。
またの機会にゆっくりと訪れてみたいお寺のひとつです。
三井寺(園城寺) 大津市園城寺町246
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コメント
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石山寺と三井寺の連載、ご苦労さまでした。
同じようなところに、これだけ立派なお寺が
あって、仁王門などは似ていますね。
投稿: ラメール | 2010年10月31日 (日) 03時18分
ラメールさん、訪問&コメントありがとうございます。
一日で二つの大きなお寺を巡るのは
体力が要りますね。
しかも、時間が限られた中での見学できたから
写真も細かくは撮っていません。
それでも、見所は抑えることができたかな。
投稿: しずか | 2010年10月31日 (日) 10時17分
私も長く滋賀県に住んでいますが、一日に石山寺と三井寺を回ったのは初めてでした(笑)
> 「イノー イノー」(帰りたい)と響いたので
去る(いぬ)は「帰る」という意味ですが、そう言えば、古典の時間に習ったような気がしますね。
これは、滋賀県でも使われていますが、若い人は使わない言葉です。
投稿: merry | 2010年11月 1日 (月) 15時54分
merryさん、ハードスケジュールをつき合わせて
しまってすみませんでした!(汗)
一日に石山寺と三井寺は本当にきつかったですね(苦笑)
>去る(いぬ)は「帰る」という意味ですが、そう言えば、古典の時間に習ったような気がしますね。
はい!習いましたね。その頃は古典が嫌いでしたが(爆)
投稿: しずか | 2010年11月 1日 (月) 18時13分