鏡の宿 義経宿泊の館(白木屋跡)
鏡は平安末期より、鎌倉、室町時代までは宿場としての賑わいをみせていましたが、江戸時代に入ると、「守山宿」と「武佐宿」の間の宿となってしまい、宿場の指定から外されてしまいました。
しかし、本陣、脇本陣も置かれ、皇族、将軍家の御名代をはじめ多くの武士や旅人の休憩の宿場町としての役目を果たしてきました。
和宮様も、この本陣でしばらく休まれていることが記録に残っているそうです。
本陣の東隣りが「源義経宿泊館跡」で現在は畑地となっており、、中央に石碑が建てられています。
承安4年3月3日に京都の鞍馬寺より奥州下向の途中、近江(滋賀県竜王町)の「鏡の宿」に着いた牛若丸一行は、当時の宿駅の長であった澤弥伝(さわやでん)の「白木屋」の旅籠に泊まりました。
当時は。藁葺きの屋根でしたが、現在は台風のため壊れてしまい、石碑のみとなっています。
昭和30年代までは義経にあやかる男児の「とがらい祭り」の斎場として使われていました。
義経宿泊の館
沢弥伝と称し旧駅長で屋号を白木屋と呼んでいた。牛若丸はこの白木屋に投宿した。
義経元服の際使用した盥は代々秘蔵して居たが、現在では鏡神社宮司林氏が保管してゐる。西隣は所謂本陣で、元祖を林惣右衛門則之と称し新羅三郎義光の後裔である。
その前方国道を隔てて脇本陣白井弥惣兵衛である。
(鏡景勝会建立)
とがらい祭り(義経祭り)
十二月の二の午の日は夕刻より源義経主従の御霊を招き火焚きの神事を行う「とがらい祭り」がある。かつては澤弥伝屋敷の「白木屋」で神事を行っていたが、澤家の屋敷が朽ちてからは鏡神社の社務所で執り行われる。
この祭りは小学生までの男児が主役となり、老中が中心となって祭りの準備をすすめる。
子供たちは太鼓と鉦を打ち鳴らし「とがらい まがらい まがあったら とがらい」と囃しながら集落を廻る。義経公にあやかり、子供たちが勇気のある立派な成人に成長する願いを始め、鏡の里の繁栄を祈念する神事で、鏡特有の義経祭りである。
因みに当日は子供たちのいたずらが、多めに見てもらえる楽しい一日でもある。
(鏡神社由緒より)
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>とがらい まがらい まがあったら とがらい
早口言葉みたいですね(笑)
「とがらい祭り」って言いにくいし、覚えにくいし、
やっぱり「義経祭り」の方がいいと思います・・・なんて
勝手な意見を言ってます(笑)
投稿: merry | 2010年10月21日 (木) 10時50分
merryさん、たくさんのコメントありがとうございます。
「とがらい祭り」と言われても、知らない人は、義経さまとは
結びつきませんね。
たしかに言いにくいし、覚えにくい(汗)
投稿: しずか | 2010年10月22日 (金) 02時18分