源内塚
守山市の中心市街地に、石仏の薬師如来を祀る小さなお堂があります。
地元では、「お薬師さん」と呼ばれ、病気治癒を願う人々が毎日参拝に訪れているそうです。この薬師堂は、平安末期の地侍の首塚に建てられたものといわれ、その地侍の名が「源内兵衛真弘(げんないひょうえまさひろ)ということから「源内塚」とも呼ばれています。
平治元年(1159年)の十二月二十七日、当時十三歳の源頼朝は、平治の乱に敗れて、京から東国へ敗走する途中、仲間とはぐれて一騎で守山宿に入りました。
馬上で居眠りしながら進んでいると、宿場にいた源内兵衛真弘が落人である頼朝の首を獲ろうと襲いかかりましたが、頼朝は「髭切り」と呼ばれる名刀で源内を両断にしました。
村人は、源内を哀れんで埋葬し、塚をつくったのがこの首塚です。塚の正面に向かって、左側の石仏が「首塚」と言われ、今日まで守り継がれています。
また塚の前にある丸い石は、探し物などに霊験があり、軽く持ち上がると願いが叶うと言われていて、現在も参拝者が絶えません。(守山市教育委員会)
こちらの史跡へは、ブログ仲間のmerryさんに連れて行っていただきました。
ガイドブックには紹介されていない地元の方にしかわからないような史跡です。
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私も、去年くらいに京都新聞の記事で知りました。
平治の乱に敗れて父義朝と一緒に東国に向かって敗走している途中で、守山ではぐれてしまったのです。
このはぐれた事が、頼朝にとってひとつの幸運だったのですね。
もしかして、守山は、パワースポットならず、ラッキースポットかも知れませんね(笑)
投稿: merry | 2010年10月25日 (月) 16時43分
merryさん、こちらの史跡は、知る人ぞ知る・・・といったところですね。
これだけ整備された史跡なら、もっとガイドブックでも
紹介されていいのにと思いました。
投稿: しずか | 2010年10月25日 (月) 21時18分