« 粟津の番所跡(膳所城勢多口総門跡) | トップページ | 義仲寺(2)義仲と芭蕉 »

2010年10月27日 (水)

義仲寺(1)山吹塚・木曽塚・巴塚

JR膳所駅より琵琶湖方面に五分ほど行ったところに、義仲寺があります。

Img_1076_b

義仲寺の名は、平家討伐の兵を挙げて都に入り、後に源義経・範頼軍に追われ、粟津の地で壮烈な最期を遂げた木曽義仲をここに葬ったことに由来し、近江守護であった佐々木六角が、室町時代末期に建立したといわれています。

境内に入るとすぐに山吹塚があります。

山吹塚

Img_1078_b Img_1079_b

山吹は義仲公の側女。
元は、JR大津駅前にありましたが、駅の拡張工事のため、この地に移されました。

山吹は義仲の妻そして妾とも云う
病身のため京に在ったが義仲に逢わんと大津まで来た
義仲戦死の報を聞き悲嘆のあまり自害したとも捕られたとも云われる
その供養塚である
元大津駅前に在ったが大津駅改築のため此の所に移されたものである
(山吹供養塚の説明)

JR大津駅の前に山吹御前を祀った祠と句碑が立っています。

山吹地蔵

大正十年八月大津駅がここに建設させるまで この地一帯は秋岸寺という古いお寺でありました。
その昔木曽義仲が粟津が原で鎌倉軍勢と戦って敗れ、今井兼平等多数の部下とともに戦死した時、愛妾山吹御前は京洛から義仲を慕ってはるばる逢坂山を越えてここまで来ましたが、逢うことができず秋岸寺境内の竹薮の中で敵刃に倒れたのであります。
後世有志が薄幸の山吹を弔うために境内に地蔵尊を刻んでお祀りしていましたが駅の新設と同時に寺は移転し地蔵尊は鉄道宿舎の主婦達の手によって祀られてきたのであります。
昭和50年駅舎改築を機にりっぱな祠を建ててここに祀ることになり、誰いうことなく山吹地蔵と呼ばれております。(大津駅長 大津市観光物産課)

句碑 「木曽どのをしたひ山吹ちりにけり」

山吹塚の奥には、巴塚があります。

巴塚(供養塔)

Img_1087_b Img_1088_b Img_1097_b

木曽義仲の愛妻は義仲と共に討死の覚悟で此処粟津野に来たが 義仲が強いての言葉に最期の戦を行い敵将恩田八郎を討ち取り、涙ながらに落ち延びた後、鎌倉幕府に捕えられた
和田義盛の妻となり義盛戦死のあとは尼僧となり各地を廻り当地に暫く止まり 亡き義仲の菩提を弔っていたという
それより何処ともなく立ち去り信州木曽で90歳の生涯を閉じたと云う
(巴塚の説明より)

三浦義一翁歌碑

   巴

「かくのごとき をみなのありと かつてまた おもひしことは われになかりき」

「としつきは 過ぎにしとおもふ 近江ぬの みづうみのうへを わたりゆく月」


巴塚と仲良く並んで、隣には義仲の墓が立っています。

義仲公墓(木曽塚)

Img_1085_b

土壇の上に宝篋印塔をすえる。
芭蕉翁は木曽塚ととなえた。
義仲公の忌日「義仲忌」は、毎年1月の第3日曜日に営む。

朝日堂

Img_1089_b_2

義仲寺本堂で、本尊は木彫聖観世音菩薩。 義仲公、義高公父子の木像を厨子に納める。義仲公、今井兼平公、芭蕉翁ほか合わせて31柱の位牌を安置する。
現在の朝日堂は、昭和54年(1979年)11月改築されたものである。

木曽八幡社

Img_1093_b_2

木曽八幡社は、義仲寺の鎮守として、古図に見える。
昭和51年(1976年)社殿鳥居を併せ新造、11月13日夜、遷宮の御儀を行った。

こじんまりとした境内ですが、石碑をはじめ句碑などがたくさんあり、見所の多いお寺です。

義仲寺 滋賀県大津市馬場1-5-12 

人気ブログランキング参加中
 投票お願いします!
人気ブログランキング

FC2ブログランキング参加中
 投票お願いします!
FC2ブログランキング

大きな地図で見る

|
|

« 粟津の番所跡(膳所城勢多口総門跡) | トップページ | 義仲寺(2)義仲と芭蕉 »

コメント

巴御前って、私の中では、すごくカッコいい女性です。
武具をつけ、長い髪をなびかせながら颯爽と馬に乗る・・

憬れますね~

投稿: merry | 2010年10月27日 (水) 16時08分

merryさん、こんにちは!
コメントありがとうございます。

>巴御前って、私の中では、すごくカッコいい女性です。

私も同じようなイメージを持っています。
その反面、義仲のことを一途に思ってた女性らしいところも
あったのでしようね。

投稿: しずか | 2010年10月27日 (水) 16時29分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 粟津の番所跡(膳所城勢多口総門跡) | トップページ | 義仲寺(2)義仲と芭蕉 »