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2010年10月26日 (火)

粟津の番所跡(膳所城勢多口総門跡)

粟津は、木曽義仲の最期を遂げた地です。
義経軍に攻められた義仲は、巴御前を逃がし、兼平と二人になりました。
義仲は、自害する場所を求め、粟津の松原へ馬を走らせます。
江戸時代になると、ここに番所が建ち、旧東海道を通って、京都へ向かう旅人を監視していました。

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以前は粟津の番所跡建物があったそうですが、今では膳所城下の南の入り口にあたる勢多口総門の位置を記す標柱がマンションの前にあるのみです。

この石碑を探すにあたって、ガイドブックに掲載されていた住所を手がかりに探したのですが、石碑の場所が移転したために、なかなか見つからず、犬を散歩している方に聞いてようやくわかりました。
「粟津の番所跡」でなく、「膳所城勢多口総門跡」で検索すれば出てきますね。

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コメント

義仲の死んだ場所ですか。
それなら、そのように書いておけばいいのに。
義仲寺も近くにあることですから。

ラメールさん、コメントありがとうございます。

JR石山駅から膳所城跡公園の間は、かつて粟津ヶ原と呼ばれ、
松原が広がっていたそうです。
この辺りが粟津の戦いになったということなのでしょう。
実際戦死した場所は、今井兼平の墓のあるところだと
いう説もあります。

昔と今では海岸線が違うので、現在民家がある場所までびわ湖があり、松原が広がっていたのでしょうね。

>義仲は、自害する場所を求め、粟津の松原へ馬を走らせます。
いいですね~カッコいいですね。
ドラマのシーンみたいに目に浮かびます。

merryさん、ここを必死で探したことは

忘れられない思い出になりそうですね(笑)

ガイドブックの古い情報を当てにできないことを

実感しました(苦笑)

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