今井兼平の墓
今井兼平は木曽義仲と乳兄弟にあたる平安時代末期の武将で、木曽の四天王とも呼ばれていた人物です。
義経軍に追われた義仲が死に場所を求めて行く途中、首を取られてしまうと、兼平は、自ら太刀先を口に加え、馬から真っ逆さまに飛び降り、自害して果てました。
この話は、謡曲「兼平」の素材となって語られています。
謡曲「兼平」
木曾に住む僧が、木曾義仲の霊を弔おうと、義仲が討ち死にした粟津に行く途中、矢橋の浦で柴を積んだ老船頭の船に乗せてもらいます。粟津に着くと船頭が消えてしまいますが、それは、義仲とともに命を落とした忠臣、今井四郎兼平でした。夜、回向をする僧の前に甲冑姿の兼平が現れ、主君と自分の弔いを頼み、と同時に「自害の手本」を見せた、兼平自身の壮絶な最後について語り始めます。
江戸時代に兼平を尊敬する膳所藩の本多俊次が、兼平の霊を弔うために、この墓を建てました。
現在の墓は、今井家末裔によって建てられたもので、墓石には「今井四郎兼平」と刻まれています。
(「滋賀の風景」「義経ハンドブック」「滋賀県観光情報」参照)
今井兼平の墓 滋賀県大津市晴嵐2-4-16
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コメント
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義仲、兼平、芭蕉の3人の大作記事がアップされましたね。
これだけにまとめるには、大変だったでしょう。
記事にするまえに、その地に行って材料を仕入れるのが
これまた大変、さすが歴女、体力もいりますね。

投稿: ラメール | 2010年10月29日 (金) 13時31分
ラメールさん、コメントありがとうございます。
行く前に、ある程度は下調べしておいたのですが、
現地に行って初めて知る情報もあり、帰って来てから
まとめ直しました。
こちらは、歌碑の多いお寺でしたね。
投稿: しずか | 2010年10月29日 (金) 13時47分
>江戸時代に兼平を尊敬する膳所藩の本多俊次が、兼平の霊を弔うために、この墓を建てました
壮絶な自害の仕方は、武士の鏡だったのでしょうね。
そして私が一番に感心するのは、現在、今井家末裔によって保存されている事です。
800年以上経っても、きちんと管理されているのは、すごい事ですね。
投稿: merry | 2010年11月 1日 (月) 15時34分
merryさん、兼平の壮絶な死に様は後世に
語り継がれていますね。
ご子孫の方たちも、誇りに思うからこそ
あのようにきちんと管理されているのでしょう。
投稿: しずか | 2010年11月 1日 (月) 16時55分