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2010年10月29日 (金)

今井兼平の墓

今井兼平は木曽義仲と乳兄弟にあたる平安時代末期の武将で、木曽の四天王とも呼ばれていた人物です。
義経軍に追われた義仲が死に場所を求めて行く途中、首を取られてしまうと、兼平は、自ら太刀先を口に加え、馬から真っ逆さまに飛び降り、自害して果てました。
この話は、謡曲「兼平」の素材となって語られています。

謡曲「兼平」

木曾に住む僧が、木曾義仲の霊を弔おうと、義仲が討ち死にした粟津に行く途中、矢橋の浦で柴を積んだ老船頭の船に乗せてもらいます。粟津に着くと船頭が消えてしまいますが、それは、義仲とともに命を落とした忠臣、今井四郎兼平でした。夜、回向をする僧の前に甲冑姿の兼平が現れ、主君と自分の弔いを頼み、と同時に「自害の手本」を見せた、兼平自身の壮絶な最後について語り始めます。

Img_1145_c

江戸時代に兼平を尊敬する膳所藩の本多俊次が、兼平の霊を弔うために、この墓を建てました。

Img_1144_c Img_1147_b

現在の墓は、今井家末裔によって建てられたもので、墓石には「今井四郎兼平」と刻まれています。
(「滋賀の風景」「義経ハンドブック」「滋賀県観光情報」参照)

今井兼平の墓   滋賀県大津市晴嵐2-4-16

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コメント

義仲、兼平、芭蕉の3人の大作記事がアップされましたね。

これだけにまとめるには、大変だったでしょう。

記事にするまえに、その地に行って材料を仕入れるのが

これまた大変、さすが歴女、体力もいりますね。
     

ラメールさん、コメントありがとうございます。

行く前に、ある程度は下調べしておいたのですが、
現地に行って初めて知る情報もあり、帰って来てから
まとめ直しました。
こちらは、歌碑の多いお寺でしたね。

>江戸時代に兼平を尊敬する膳所藩の本多俊次が、兼平の霊を弔うために、この墓を建てました

壮絶な自害の仕方は、武士の鏡だったのでしょうね。

そして私が一番に感心するのは、現在、今井家末裔によって保存されている事です。
800年以上経っても、きちんと管理されているのは、すごい事ですね。

merryさん、兼平の壮絶な死に様は後世に

語り継がれていますね。

ご子孫の方たちも、誇りに思うからこそ

あのようにきちんと管理されているのでしょう。

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