義経元服池
金売り吉次と供に、東国へ向かう途中に近江の宿へ入った義経は、稚児姿で見つかりやすいのを避けるために元服することを決意します。
そこで地元「鏡」の烏帽子屋五郎大夫(ごろうたゆう)に源氏の左折れの烏帽子を作らせ、鏡池の石清水を用いて、前髪を落とし、元結の凛々しい侍姿を池の水に映し元服をしたと伝えられています。
これが元服池といわれています。
道の駅・「かがみの里」の前に、義経元服の地の看板があり、
左に行くと元服池、右に進むと鏡神社です。
歩いてすぐに、池と石碑があります。
この池は、浦山の湧き水がしみ出てきているもので、水道が整備されるまでは、付近の人家の飲料水として使用されたほど美しい水とのこと。昔から旅する人々も喉を潤したものだそうです。
石碑の説明によると
父は尾張の露と消え、母は平家に捕へられ、兄は伊豆に流されて、おのれ一人は鞍馬山と歌はれし不遇の児 牛若丸は遮那王と称して、鞍馬山に仏道修行していたが、十一歳の時母の訓戒により、祖先の系図に感じ、平家を滅ぼし、父の遺志を達せんと堅い決意を抱いた。それより後は昼は書を読み文を習ひ、夜は僧正谷にて一心に武術に励み、時の来るのを待っていた。
京都の天満宮に日参して源氏の再興を祈ったのもこの頃の事であった。
時に奥州と京都を往返する金売商人吉次に語ひ、承安四年三月三日の暁(昭和四十一年より七百九十二年前)住み慣れた鞍馬山に別れを告げ、機を見て兄頼朝に謁せんと 憂き旅の東下りの途につき、吉次、下総の深栖陵助頼重等と共に、その夜鏡の宿につき 吉次の常宿白木屋に投宿することになった。
牛若丸つらつら考へるに道中安全を期するには元服し東男に粧ふに若くはないと、吉次 陵助と語り、元服に際して烏帽子親として五郎太夫三番の左折りにして烏帽子をすすめた。
其の夜この池の清浄水を汲み取り、前髪を落飾し、源九郎義経と名乗った。
時に年十六歳 これが元服池の由来である。
かくて烏帽子を戴き源氏の武運長久を鏡神社に祈った。
当地こそ武人としての義経出生の地である(鏡景勝会建立)
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>当地こそ武人としての義経出生の地である
元服の地はいくつか説がありますが、私はこの説に一票入れます(笑)
投稿: merry | 2010年10月17日 (日) 10時28分
merryさん、こんばんは!
そうですよね。
お気持ちよくわかります。
地元の方としては、ここであったと
信じたいですよね。
投稿: しずか | 2010年10月17日 (日) 20時52分