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2010年11月 4日 (木)

竹生島 宝厳寺(2)

宝物殿

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宝物館には、「平家物語」に出てくる琵琶の撥があります。
寿永2年(1183)平経正が木曽軍征伐の際、来島し、戦勝祈願の為、琵琶をひいたという撥です。

平経正・・・(たいらのつねまさ)平経盛の長男で、清盛の甥にあたります。弟には経俊、敦盛がいます。歌人としてまた琵琶の名手として名を挙げました。
幼少時代は、仁和寺で過ごしたという縁で、仁和寺五世門跡・覚性法親王から琵琶の銘器「青山」を下賜されるなど、寵愛を受ました。
義仲軍が攻めてくると、後白河天皇第二皇子・守覚法親王に名器を返上し、都落ちして、一の谷合戦で討ち死にしました。

能では「経政」の主人公として描かれ、また、琵琶で語られる平曲で経正は「竹生島詣」と「経正都落」に出てきます。


残念なことに、琵琶の青山は鎌倉時代に失われたと言われ、経正ゆかりの地である竹生島の弁財天の宝物殿に、経正が青山を弾いた際に使用したとされる撥が納められているとのことです。

ちはやふる神に祈りのかなへばや、しるくも色のあらはれにけり  平経正

弁財堂から正面の石段を下りて来ると、観音堂があります。

観音堂は、慶長8年(1603)、豊臣秀頼が秀吉の遺命により、片桐旦元を普請奉行として、京都東山の豊国廟から移築寄進されたとするものです。

観音堂

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観音堂の入り口にあたる国宝の唐門は、檜皮葺きで、前後に唐破風を持ち、極彩色の彫刻や飾金具が施され、豪華絢爛な桃山様式の代表的遺構といえます。

唐門

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観音堂から都久夫須麻神社本殿に続く渡廊は、秀吉の日本丸と名付けられた御座船の材を利用したものとされ、舟廊下とよばれています。

舟廊下

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竹生島 長浜市早崎町1164

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コメント

>戦勝祈願の為、琵琶をひいたという

やっぱり平家の公達は優雅ですね。

今風に言えば、草食系のイメージかな(笑)

merryさん、こんばんは!

草食系・・・なるほど~今で言ったらそんな

繊細で、か細い感じなのかもしれませんね。

経正の琵琶の音はどんなだったのでしょうか?

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