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2010年11月 6日 (土)

義経隠れ岩

JRマキノ駅からタクシーで義経隠れ岩へ
海外沿いを走ること10分、約2mほどの岩が見えてきます。
この場所は、ガイドブックにも載っていなかったので、
高島観光協会で地図をもらって、運転手さんに渡して連れて行って
もらいました。

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「義経の隠れ岩」(伝承)と言われている2メートル四方、高さ1.7メートル程の、かがんで人が隠れることができるぐらいの穴のあいた岩があります。源義経は、兄の頼朝に協力して、それまで権力をほしいままにしていた平家を亡ぼし、源氏の時代をつくりましたが、戦い方があまりにも上手で、人気が兄をしのぐようになったため頼朝に憎まれてついに追われる身になりました。そして、北国海道を人目につかないように奥州平泉の藤原秀衡を頼ってのがれて行ったのですが、義経たちがこの土地を逃げながら通りかかったのは、文治3年(1187)2月で、今から約800年前のことでした。義経たちや馬がこの岩に隠れたかどうかは分かりませんが、海津付近に上陸し、一時身を隠して北国へ落ちていったことは有名な義経の謡曲「安宅」(あたか)の一節にも謡われているように事実のようです。
(びわ湖高島観光協会)

高さ1.7m幅2mほどの岩で、海津大崎の少し手前の湖岸にあります。義経が兄の頼朝に追われる身となり奥州平泉に逃れる時、この土地を通りかかったといわれています。義経がこの岩に隠れたかどうかはわかりませんが、海津付近に上陸し一時身を隠して北国へ逃れていったことは謡曲「安宅」の一節に謡われています。
(滋賀県観光情報)

文治3年、義経主従が大津より北陸に都落ちする時、海津着船の際、敵に知られないようにしばらく隠れていたと伝えられる岩です。謡曲「安宅」の中でも謡われています。
(画像真ん中の案内板の説明より)

岩に近づいてみると、岩の下方に穴が開いているの確認できました。
小柄な義経さまなら、きっとここに隠れることができたのでしょう。

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コメント

11月上旬に発行された滋賀のタウン誌に、義経の隠れ岩についての記事が載ってました。
これで少しは知名度がアップするかも知れません。
少なくともタクシーの運転手さんには知ってもらいたいですね。

merryさん、情報ありがとうございます。

滋賀のタウン誌に載っていたのですか!

ついに「隠れ岩」がメージャーデビューかな?

隠れ岩も日が当たるようになりましたね。

義経の腰掛け岩や義経手植えの松(小野市加東市)に

日が当たるようになるのはいつごろの

ことでしょうか。

義経の逃亡紀行が始まった場所なのでしょうか。

ラメールさん、先日はお世話になりました。

兵庫の隠れた史跡も、もっと公になってもらいたいですね。

なかなか一人では行くことのできないところへ連れて行って

いただけて嬉しかったです。

伝承となると、ガイドブックには載せにくいのでしょうか。

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