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2010年12月 2日 (木)

神戸の源平史跡を訪ねて(26)源平勇士の碑

寿永三年(1184年)源平一ノ谷合戦で、平通盛は、この付近で、源氏方の木村源吾重章と相討ちで亡くなり、また平盛俊と討ち取った猪俣小平六則綱もこの付近で戦死したため、彼らを供養する碑が源平仲良く祀られています。これらの碑はもと西国街道沿いにありましたが、道路の拡幅工事によって現在の地に移築されました。また、明泉寺付近で討ち死にした平知章の碑をここに移し、敵味方の隔てなく、源平勇士の墓として、あわせ弔ったといわれています。

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高速・地下鉄長田駅から西に約200m、3分ほど歩くと、湊川の東川沿いにあります。東隣りは村野高等学校グランドになっています。

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コメント

>敵味方の隔てなく、源平勇士の墓として、あわせ弔ったといわれています

つい先日、薩摩出身の人が「いまだ会津の人に嫌われている」と言って笑ってました。
150年近く経っても敵味方の意識は消えないようですが、さすが源平となれば過ぎた年月が違いますね。
もう敵も味方もなく、物語になっていくのでしょうね。

merryさん、こちらにもコメントありがとうございます。

>150年近く経っても敵味方の意識は消えないようですが、さすが源平となれば
過ぎた年月が違いますね。

そうですね、800年も経てば、もう過去のことは水に流そうという
気持ちになれるのかな~
薩摩と会津の方たちも、もっと時が経てばそんな意識もなくなるのかも
しれませんね。

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