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2011年6月

2011年6月29日 (水)

東京の源平史跡(10)石浜神社

荒川区南千住にある神社の紹介です。

白髭橋から隅田川に沿って北に歩くと、石浜神社の鳥居が見えてきます。

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神社の由緒書きによると、
 
文治5年(1189)、源頼朝の奥州征討に際しての社殿の寄進、弘安4年(1281)、蒙古襲来の折、必勝を祈念しての、鎌倉将軍家お取り次ぎによる官幣(かんぺい:天皇から神に捧げる礼物)のご奉納などを経て、中世初めには大社としての発展を見ました。殊に、千葉氏、宇都宮氏などの関東武将の信仰は篤く、関八州より、多くの参詣者を集めたと、伝えられています。

とあります。

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また、「義経記」によると、

1180年(治承4年)房総から鎌倉に向かう源頼朝の軍勢が、浮橋をかけて渡った地点は石浜であったと伝えています。(東京都の歴史散歩参照)

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2011年6月17日 (金)

東京の源平史跡(9)隅田川神社

東京の墨田区にある神社で、周辺は東白鬚公園となっています。

治承の頃、頼朝が平家打倒の兵を挙げ、下総から武蔵に入る時、暴風雨に遭い、仮設の船橋をかけて隅田川をわたり、そのおりに水神の霊に感じて社殿を造営したと伝えられています。

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もとの名を浮島神社といい、古くは水神社、水神宮、浮島宮などとも呼ばれ、1872年、隅田川神社に改名しました。
地域の鎮守神であるとともに隅田川一帯の守り神でもあり、水運業者や船宿など、川で働く人たちの信仰を集めたほか、「水神」の名から水商売の人々にも信仰されました。

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2011年6月10日 (金)

東京の源平史跡(8)熊野神社

荒川区の熊野神社。
千住大橋のたもとから歩いて数分のところにあります。

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創建は永承5年(1050年)源義家の勧請によると伝えられる。
大橋を荒川(現隅田川)にかける時、奉行伊奈備前守は、当社に成就を祈願し、文禄三年(1594年)橋の完成にあたり、その残材で社殿の修理を行った。
以後、大橋のかけかえごとの祈願と神殿修理が慣例となった。
また、このあたりは材木、雑穀の問屋が立ち並んで「川岸」(かし)と呼ばれ、陸路奥州道中と交差して、川越夜舟が行きかい、秩父・川越からの物資の集散地として賑わった。
(荒川教育委員会)


場所がわからなかったので、自転車を引いて歩いて来た方に、神社のことを尋ねたのですが、ご存じありませんでした。(;ω;)ちょうど神社の前の道だったのですけどね。
民家の間にひっそりと建っているので、見逃さないように注意してください。

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2011年6月 7日 (火)

新ブログの紹介

この度、史跡めぐりの新ブログを開設しました。

日々史跡めぐり」とタイトルです。

http://blog.goo.ne.jp/shizuyashizu

このブログでは、特にテーマは決めず、国内を旅行しながら、

訪問した各地の史跡を 紹介していきます。

当ブログと同様、応援よろしくお願いしますm(_ _)m

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2011年6月 4日 (土)

東京の源平史跡(7)三輪厳島神社

東京の大森に伝わる義経伝説を追って来ました。
ここには、海苔業者の信心する三輪厳島神社があります。
義経さまと大森、そして海苔にどのような繋がりがあるのでしょう。

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伝説によれば、今から800年前のこと、義経が多摩川を渡河しようとした時、嵐のため海まで流されてしまった。義経が岸に見える神社に向かい祈ると、嵐は収まり無事岸に着くことができた。義経は神のご加護に感謝して、里人と話し合い森を開いて神社の社殿を修理した。これが当社創立の起源という。里人は、こののち正月11日には水神を祭り、浜辺には注連竹を立てた。この注連竹に付着した黒い海藻が海苔であったと言われている。この海苔は鎌倉の将軍に献上したのを始まりとして、江戸幕府将軍家にも最後まで献上されたという。

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この故事により、江戸時代から大森の海苔業者の信仰を集めたという。昭和3年(1928)に三輪神社と厳島神社が合併して三輪厳島神社となった。現在の拝殿は入母屋造正面千鳥破風軒唐破風付の造りで、昭和28年(1953)の再建である。
素戔嗚尊の子である大黒天(三輪様)と 弁財天(厳島様)を祀っている。
(厳島神社由来より

義経さまと海苔が繋がりがあったとは・・・
これから朝食で、海苔を目にする度に、この伝説が浮かびそうです(*^m^)

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