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2011年8月31日 (水)

東京の源平史跡(13)炎天寺・八幡神社(2)旗掛の松

炎天寺の境内に続いて八幡神社があります。

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この地周辺を望む小高い丘に、義家軍の白旗を立て掛けた松「旗掛けの松」があり、八幡神社の入口に今も植え継がれています。

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コメント

神社を守る別当寺(神護寺)!寺を守る神社!この炎天寺は八幡神社の別当寺(神護寺)、京都の建仁寺を守る恵美須神社は栄西が神社を先に建て、ついで建仁寺を建てました!神仏混淆の時代は面白いですね。日本人の宗教観が良くわかります。いつも思うのですが、明治維新の神仏分離令により多くの別当寺の僧は、神職となりましたが、その宗教意識は寺に所属する寺僧でなく神社の社僧であり信ずる神は同じであったということを。

義家の時代から900年の月日が経っているのですね。
この松も、何代目なのでしょうね?

近所に101歳になったおばあさんがおられます。
とても元気ですよ。
こんな人が9代さかのぼったら源平の時代なのですね。
そう思うと、義家も身近に感じます(笑)

四方さま、コメントありがとうございます。

神仏分離令が出されたことで、廃仏毀釈運動が起こり、各地の寺院や仏具の破壊されてしまいました。
何年も受け継いでいけば貴重な財産になったものが多く失われましたよね。

merryさん、こんにちは!

何百年と数えると、ずいぶん昔のことのように
思えますが、何代前と数えると身近に感じますね。

100歳を過ぎた方がご近所にいらっしゃるのですか。
私たちもずっと元気なままで各地を旅していたいものですね。

綾部の文化財を守る会のHPを良く見てくれる人員は約110名くらいです。中々FC2ブログランキングをクリックしてくれませんが、大変歴史に興味を持ってる方が多く、小生もそうですが、しずかさんの各地の興味有る取材を見てるようですね。リンクして良かったと思っています。よそのブログは中々見ない方が多いようです。

四方さま

すみません。
コメントに気付かなく、返信が遅くなってしまいました(汗)

リンクしていただいたおかげで、たくさんの方に記事を読んでいただけて、取材しがいがあります。
今後ともよろしくお願い致します。

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