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2011年9月

2011年9月29日 (木)

源氏塚

東京の源平史跡編を少しお休みして、今日から東海~関西エリアの源平史跡を紹介します。
まずは名古屋編です。

近鉄名古屋線の近鉄蟹江駅から歩くこと15分・・・とガイドブックには書いてあったのですが、道を尋ねても、目的の公園を知らないという方ばかりで、道に迷うこと30分(;;;´Д`)
結局往復1時間以上かかってしまいました( ̄○ ̄;)!

1159年(平治元)年、平治の乱で平清盛に敗れた源義朝は、知多の内海に逃れる途中で蟹江に立ち寄り、一時漁民にかくまってもらったといわれています。

ここ源氏塚公園の中に「源氏塚」という石碑が、また公園の隣には、八幡社があります。

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当時、小島であったこの地には、今でも源氏島という地名が残っています(o^-^o)

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2011年9月21日 (水)

東京の源平史跡(15)芝神宮

5東京都港区芝大門にある芝大神宮。

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祭神は天照皇大神、豊受大御神の2神で、相殿に倉稲魂命、源頼朝、徳川家康の3神を祀っています。
平安時代中頃、伊勢神宮の分霊を祀ったとされ、当初は飯倉山(現在の港区芝公園)に鎮座していたことから、江戸時代は飯倉明神または芝明神などと呼ばれていました。

頼朝は元暦元年(1185年)と建久4年(1193年)の2度に亘って神領を寄進し、特に後者においては自ら社参の上1300余貫の地を神田として寄進したといいます。
足利、北条、豊臣などの武将の崇敬篤く、歴代将軍も祈願・寄進・修造を行いました。徳川時代、幕府の篤い保護の下、関東一円の庶民信仰を集め、「関東のお伊勢さま」として賑わいを見せたといいます。

当社の祭礼「だらだら祭り」は、毎年9月16日の前後10日間にわたって行われています。
10日間という長さから、この名がついたとか。
江戸時代からこのお祭りの名物とされている二つのものがあります。
昔この辺りが生姜畑で、近隣の農家が販売していた名残から、今でも祭りの間、境内で葉先に細工が施された葉生姜が売られます。
もう一つは神殿の経木で作られた小判型の箱を三段に積み上げた檜製の千木筥。
「千木」が「千着」に通じることから、箪笥の中に入れておくと衣装が増えるという縁起物です。
これは女性に人気がありそうですね。

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2011年9月10日 (土)

東京の源平史跡(14)千葉次郎勝胤の墓

足立区竹ノ塚の千葉次郎勝胤の墓を訪ねて歩いてみました。

先祖を遡ると、千葉氏3代当主・千葉常胤は、頼朝の挙兵に協力し、鎌倉幕府創設に貢献した人物です。以後千葉一族は下総国千葉荘を中心に勢力を伸ばしていましたが、享徳の乱をきっかけに、内部が対立し嫡流は事実上滅亡してしまいます。一部が足立近郊に撤退したことから武蔵千葉が誕生。武蔵千葉は北条氏との結びつきを強めて足立区を中心に所領を拡大したといいます。

勝胤は千葉氏の23代当主に当たります。

竹ノ塚の駅を降りて、ガイドブックに書かれていた方角へかれこれ30分近く歩いて行き、やっとのことでみ民家の裏側に発見したと思ったのですが・・・

情報が古くて、移転していました

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移転先は、ここから250m先の長勝寺ということなので、早速移動開始!
迷うことなく長勝寺に到着。
な~んだ!これならもっと駅に近かったじゃない!という感じでした

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長勝寺は、元和8年(1622)に、開基檀方・宮崎清左衛門吉重が先祖の主君・勝胤の菩提を弔うため建立したといわれています。

千葉次郎勝胤の墓 

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訪問する時は、最新の情報をGETしないといけませんね

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