« 源氏塚 | トップページ | 野間の長田屋敷跡と磔の松 »

2011年10月 4日 (火)

柴ヶ森

名古屋の弥富市柴ヶ森にある史跡「柴ヶ森

平治元年(1159)12月の「平治の乱」で平家に敗れた源義朝らは、青墓の宿(現大垣市)まで逃れてきたが、平家の追及が厳しいため、舟に積んだ柴の下にかくれた、知多の野間へ落ちていくことにした。途中、平家の検問を逃れ、松田(現立田村)で粥をごちそうになり、この地、二之江まできて、もう大丈夫だろうと舟荷の柴を川岸に上げた。
このことから「二之江村」が「荷之上村」と改められた。
また、川辺の柴は、芽を出し年々大きな森となった。これが「柴ヶ森」である。
記念碑の題字「柴ヶ森」は、佐屋町出身の元内閣総理大臣加藤高明の書である。

(弥富市教育委員会)

Img_3089_c

柴ヶ森には八幡神社があります。

Img_3090_b Img_3091_b Img_3092_b Img_3094_b

ブログランキングに参加しています(o^-^o)
応援よろしくお願いしますm(_ _)m

人気ブログランキングへ

« 源氏塚 | トップページ | 野間の長田屋敷跡と磔の松 »

源義朝」カテゴリの記事

コメント

名古屋の弥富市柴ヶ森の源義朝の史跡!
まあ本当に良く調べて見学に行っていますね!
私は本で読んだだけです。
好きなことが一番ですね。

四方さまは、かなりの読書家でいらっしゃいますね!

本で源平史跡を見つけると、どうしても行きたくなり、

その結果、遠出することになります(笑)

義経の叔父、鎮西八郎為朝の記録が無いです!しずかの名から先ず、義経としずかの関係ある処、そして父や兄弟が先になりますね!
 義経は自刎せずモンゴルに渡ってジンギスカーンとなった説、この強弓で名高い暴れん坊の鎮西八郎為朝も庶子で九州へ追放され、そこで又暴れて、腕の健を切られて伊豆大島へ島流し、又大暴れ父の為義が、自刎させて、首を京都の朝廷へ送り届けた!
 しかし、偽首で、鎮西八郎為朝は琉球へ逃れてそこの王となった説!
ヒーローには永遠に生きていて欲しい庶民の願いですね。

四方さま

歴史上の人物には、様々な伝説があって、それを追っていくうちに
どれが真実かよけいにわからなくなることもありますが、それもまた
歴史の魅力でありますね。

義経さまは、私の中では永遠に生き続けています(*^-^)

今週末は大垣城に行こうかと計画中ですが、大垣には義朝ゆかりの地もあるようですね。
大垣には無料レンタサイクルもあるので、史跡めぐりをする者にはありがたいです。

大垣には無料のレンタサイクルがあるのですか?
何処にあるのでしょうか?
来年はこの大垣城にも行く予定で計画中です。

merryさん、四方さん

駅南口徒歩5分のロワジールホテルで無料レンタサイクルをかりて
大垣城や水門川巡りを・・・という記事を見ました。
そのことでしょうか?

義朝の史跡もまた追っていきたいと思っています。

大垣にある義朝ゆかりの地を調べてみたのですが、レンタサイクルでは到底無理な距離でした(笑)

なので、急きょ丸亀に行った次第です。

大垣の無料レンタサイクル場所が書いているマップです。
青い自転車のマークが貸出場所です。

http://www.jichitai.com/kanko/view.asp?serialno=727

merryさん、情報ありがとうございます。

自転車でも無理な距離とは、かなり離れているのですね。

ところで、私ずいぶん長いこと自転車に乗ってません(苦笑)

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 源氏塚 | トップページ | 野間の長田屋敷跡と磔の松 »

2024年9月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          

カテゴリー

無料ブログはココログ