金王八幡宮
JR渋谷駅東口から歩いて10分ほどのところにある金王八幡宮
平安時代、渋谷氏の祖・河崎基家と源義家が八幡宮を創建し、その一帯に1092年、基家の息子の重家が渋谷城を築城しました。重家は、京都の御所に侵入した賊を捕らえた褒美に堀河天皇から渋谷の姓をもらったことから渋谷の地名がうまれたとされています。
また重家が八幡神に祈願して嫡男・金王丸を授かったことから金王八幡の名がおこったといいます。
金王丸は17歳の時、源義朝に従って保元の乱で武功を立てましたが、平治の乱で義朝は家臣の裏切りに遭い、無残な最期を遂げます。
金王丸は、出家し、土佐坊昌俊と名乗り、義朝の霊を弔いました。
その後、義朝の子である源頼朝に、義経を討てとの命令をくだされ、金王丸は、断れずに討伐に行き戦死しました。
その金王丸の逸話が有名になり、八幡宮はいつしか、金王八幡宮と呼ばれるようになったそうです。
時を経て、渋谷城は1524年北条氏綱との戦いで、渋谷氏が滅亡する際に焼き払われてしまい、渋谷城の跡は、砦とりでの石一つと八幡宮が残りました。
金王八幡宮の現在の社殿は、徳川家光が3代将軍に決定した御礼として家光の乳母の春日局と教育役の青山忠俊らが奉納したもので、社殿の真正面に立つ赤い立派な神門は、通称「赤門」と呼ばれています。
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