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梶原景時ゆかりの興禅寺

興禅寺は、頼朝の家臣で鎌倉幕府の侍所の別当として権勢を誇った梶原景時が、1174年に菩提寺として建てた寺で、興禅寺の東側には羽黒城跡が残されています。

羽黒城は、建仁2年(1201)梶原景親(景時の孫)によって築城された。
景時は、頼朝に信望のあった御家人で侍所の別当として権勢を誇っていたが、頼朝が死ぬと、しばらくして滅ぼされた。 一部の遺族たちは、景時の孫・豊丸(のちの景親)をかこんで豊丸の乳母隅の方ゆかりの羽黒の地にのがれ、代々住み着いた。
戦国時代になって、景親から17代目の景義は織田信長に仕えて、羽黒村3千石を領有していたが、本能寺の変で討死し、 梶原家は絶えた。
天正12年(1584)の小牧山合戦の際、秀吉がこの城を修復させ、城砦を築いた。 この城砦も焼け、廃城となり今日に至っている。
( 説明板より)

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境内には梶原景時の首を葬った景時、景義および梶原一族の墓があります。

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またここは、山内一豊の母・法秀尼ゆかりの寺でもあります。

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梶原景時」カテゴリの記事

コメント

 愛知県犬山市の全市博物館構想!2005年発行の山川出版社の「愛知県の歴史散歩上」によるとその構想がかなり具体化しているようですね!
 来年5月の愛知・岐阜2泊3日の車旅で再度犬山市を訪れる計画です。

投稿: 四方續夫 | 2011年11月 6日 (日) 20時25分

四方さん、こんばんは!

犬山はまだ見学不十分なので、またいつか
行くつもりでいます。
ガイドブックで紹介されていないところも
結構ありますものね。

投稿: しずか | 2011年11月 6日 (日) 22時00分

山内一豊のお母さんは、梶原氏だと伝えられているとか。

頼朝の鎌倉時代から、戦国時代まで、こんな風につながっているのですね。

面白いですね。

投稿: merry | 2011年11月 8日 (火) 20時00分

merryさん、こんばんは!

山内一豊の記事を書いていた時は知りませんでした。
学校の授業ではこういう繋がりまで知ることがないので
史跡めぐりをしていると、思わぬ繋がりを発見しますね。

投稿: しずか | 2011年11月 8日 (火) 23時02分

こんばんは。 私も梶原景時の足跡を訪ねた事がありました。
 http://serendipity05.jugem.jp/?eid=139
 梶原一族がそこまで続いたのは、初めて知りました。

投稿: Minoru | 2015年8月 9日 (日) 19時29分

Minoruさん、こちらにもコメントありがとうございます。

この日は、犬山城に行った帰りにこのお寺に寄りました。

Minoruさんも梶原景時の足跡を訪ねた事があるのですね。
また記事を読ませていただきます。

投稿: しずか | 2015年8月 9日 (日) 20時06分

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