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ここより奥の院参道に入ります。
与謝野晶子・鉄幹の歌碑と、 東京から移築した与謝野晶子の書斎冬柏亭
ここから先に、牛若丸(義経さま)の史跡が点在しています。
義経公息つぎの水・・・牛若丸が東光坊から奥の院へ兵法の修行に通う途中、この清水を汲んで喉の渇きを潤したと伝えられています。
義経公背比べ石・・・奥州に下る牛若丸が名残を惜しんで背を比べたと言われる石
木の根道
僧正が谷不動堂・・・牛若丸が鞍馬天狗より兵法を学んだ舞台がこのあたりであるといいます。
奥の院魔王殿・・・650万年前、金星から来た護法魔王尊が降臨したところと伝えられ、石灰岩が重なる柵内は、日本庭園の源流になったといわれています。
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そして義経さまの故郷でもあります
この日は、紅葉狩りのシーズンのまっただ中で、たくさんの人で賑わっていました。
山門から本殿までを「つづら折り」と言い、清少納言が「枕草子」で「近くて遠きもの鞍馬のつづら折りと書いています。
行きはケーブルを使って、わずか2分ほどで到着
多宝塔
ケーブルを利用しても、降りてから本堂までは自力で階段を上らなければなりません
汗をかきつつ、本堂に到着!
鞍馬寺は、鑑真の高弟・鑑偵上人が宝亀元(770)年、この地に草庵をつくり、毘沙門天を安置したのが鞍馬寺の始まりと伝えられています。
1949年まで天台宗に属しましたが、以降独立して鞍馬弘教総本山となっています。
本尊は「尊天」と称し、毘沙門天王、千手観世音菩薩、護法魔王尊の三身一体の本尊であるといいます。護法魔王尊とは、650万年前に金星から地球に降り立ったもので、その体は通常の人間とは異なる元素から成り、その年齢は16歳のまま年をとることのない永遠の存在であるといいます。
本殿金堂の前に翔雲台があります。
平安京の擁護授福のため本尊が降臨した場所とされ、中央にある板石は本殿金堂の後方より出土した経塚の蓋石です。
ここから比叡山を望むことができます。
鞍馬寺 翔雲台
鞍馬山は北方守護の浄域である。擁護受福のため、本尊ここに降臨ありて、はるか平安京をみそなわし給う。
中央の板石は、本殿後方より出土したもので、平安時代より鞍馬寺に伝えられた如法写経会の経巻を埋納した経塚の蓋石である。
板石の下から発掘された経塚遺物二百余点がことごとく国宝に指定された。
(案内板より)
(撮影 11月24日)
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11月、京都の高尾に紅葉狩りに出かけて来ました。
神護寺は、「神願寺」と「高雄山寺」という二つの寺院が天長元(824)年に合併してできた寺です。
開基は和気清麻呂。唐から帰朝した空海も住持を務めました。
しかし、平安時代末期には衰退し、仁安3年(1168年)神護寺を参詣した文覚が、寺が荒れ果てていることを嘆き、再興の勧進を始めました。その後、後白河法皇や源頼朝らの援助を得て、寺の再興は進みました。
寺宝として、伝平重盛像・伝源頼朝像・伝藤原光能像があり、12世紀末の似絵の名手藤原隆信の作とされていますが、1995年に頼朝像は足利直義、重盛像は足利尊氏、光能像は足利義詮の肖像画であるとする新説が発表され、論争が続いています。
この日は祝日に当たり、多くの観光客が訪れていました。
部分的には真っ赤に紅葉しているところもありましたが、見頃まではもう少しという感じでした。
(撮影 11月23日)
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文京区白山にある白山神社は、地下鉄三田線白山駅から徒歩2分ほどのところにあります。
社伝によれば、創建は948年、加賀一宮白山神社を現在の本郷一丁目の地に勧請したものと伝えられています。
後に元和2(1616)年に2代将軍・徳川秀忠の命で、巣鴨原(現在の小石川植物園内)に移されました。
その後、承応元(1652)年5代将軍・綱吉が館林藩主の時、小石川御殿造営地となり、明暦元(1655)年、現在地に移転しました。
この縁で綱吉と桂昌院の厚い帰依を受け以降、徳川将軍家から信仰されたといいます。
境内社として八幡神社があります。
八幡神社
当社は人皇70代後冷泉帝、永承6(1051)年4月、奥州安部の統王威を椋む。
是に拠て征伐勅宣を蒙り伊豫守 源頼義御嫡男 八幡太郎義家両大将は官軍を率て発向したおり、当地は其の時の奥州街道なり
然るに敵将この辺に兵を伏駒を込、数千の薪を集め焼亡さんと計とき両大将
当社前の櫻木に御旗を立て岩清水八幡宮を奉勧請、御祈誓あり後
一戦に敵を討捕し討伐後ここに感謝の意をもって八幡神社を創建せらる。
白山神社の境内の地主神に在りて御神徳顕著にして崇敬者多し。
(案内板より)
境内には、八幡太郎義家の故事に沿った旗桜記碑があります。
白旗桜 旗桜記碑
旗桜の故事
永承6(1051)年、八幡太郎義家が奥州平定の途中この地を通った時、旗をこの樹にかけ戦勝を祈願したといいます。
明治二十九年建立の碑には旗桜記が刻んであります。
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