大物主神社(2)謠曲「船弁慶」ゆかりの地
義経主従が頼朝から追討され、大物浦からの船出を待つ間この付近に一時身を潜めたということから、境内に「義経弁慶隠家跡」の石碑があります。
謠曲「船弁慶」ゆかりの地
古典「平家物語」には頼朝と不和になった源義経が武蔵坊弁慶ら郎党と共に西国へ向うため大物浦(尼崎市)から船出したものの、烈しい風浪のため押し戻されたことが書かれ、これは謠曲「船弁慶」に脚色されているが、そのとき一時身をひそめたところが、この若宮神社(大物主命を祀り大物主神社ともいう)付近だと伝える。神崎川の流域にあり「九洲宗像大社」又厳島神社の祭神である。
宗像三柱をも祀ってあり、かって大物の浦はこの社前まで通っていたと伝えられている。
なお義経は出帆を前に愛妾静御前と別れを惜しんだといわれ、近くに”静名残りの橋碑”もある。(案内板より)
※案内板の説明が一部訂正されています。
この橋碑は現在、辰巳八幡神社の境内にあります。
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