八軒家船着場跡
大阪の天満橋の八軒家船着場跡の史跡を紹介します。
江戸時代には八軒の船宿などがあったことから八軒家浜と呼ばれ、三十石船や淀川の荷客輸送にあたった過書船の発着場として賑わっていました。
平安時代、この辺りは「渡辺津」と呼ばれ、熊野参詣の出発点として栄えました。
その様子は、「東海道中膝栗毛」摂津名所図会などに描かれています。
大阪市中央区天満橋の永田屋昆布本店の前に八軒家船着場跡の石碑があります。
八軒家船着場跡 (大阪市中央区天満橋京町2-10 )
この地は江戸時代には八軒家と称し淀川を上り下りの三十石船の発着場として、さらに古くは渡辺といい紀州熊野詣での旅人の上陸地として栄えた。
また大江山の鬼を退治したといわれる渡辺綱はこの地を支配した摂津源氏一族の出身であり、『地獄門』で知られる遠藤盛遠が袈裟御前を見初めたのもここに架けられた渡辺橋の渡りぞめの時のことと伝える。
楠正行がこの橋からなだれ落ちる敵兵を救いあげ衣料を与えて国へ帰してやったという美談は明治初年わが国が万国赤十字に加盟のとき伝えられて感銘を与えた。
昭和45年5月 牧村史陽識
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