八軒家船着場跡
大阪の天満橋の八軒家船着場跡の史跡を紹介します。
江戸時代には八軒の船宿などがあったことから八軒家浜と呼ばれ、三十石船や淀川の荷客輸送にあたった過書船の発着場として賑わっていました。
平安時代、この辺りは「渡辺津」と呼ばれ、熊野参詣の出発点として栄えました。
その様子は、「東海道中膝栗毛」摂津名所図会などに描かれています。
大阪市中央区天満橋の永田屋昆布本店の前に八軒家船着場跡の石碑があります。
八軒家船着場跡 (大阪市中央区天満橋京町2-10 )
この地は江戸時代には八軒家と称し淀川を上り下りの三十石船の発着場として、さらに古くは渡辺といい紀州熊野詣での旅人の上陸地として栄えた。
また大江山の鬼を退治したといわれる渡辺綱はこの地を支配した摂津源氏一族の出身であり、『地獄門』で知られる遠藤盛遠が袈裟御前を見初めたのもここに架けられた渡辺橋の渡りぞめの時のことと伝える。
楠正行がこの橋からなだれ落ちる敵兵を救いあげ衣料を与えて国へ帰してやったという美談は明治初年わが国が万国赤十字に加盟のとき伝えられて感銘を与えた。
昭和45年5月 牧村史陽識
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「渡辺綱」カテゴリの記事
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- 八軒家船着場跡(2012.07.26)
- 渡辺綱 駒つなぎの楠(2012.05.11)
渡邉綱については以前から少々疑問点があり、今回ウイキペイで調べたら理解できたようです!
武蔵国の住人で武蔵権介だった嵯峨源氏の源宛の子として武蔵国足立郡箕田郷(現・埼玉県鴻巣市)に生まれる。摂津源氏の源満仲の娘婿である仁明源氏の源敦の養子となり、母方の里である摂津国西成郡渡辺(現大阪府大阪市中央区)に居住し、渡辺綱(わたなべ の つな)、あるいは渡辺源次綱(わたなべ の げんじ つな)、源次綱(げんじ つな)と称し[2]、渡辺氏の祖となる。
摂津源氏の源頼光に仕え、頼光四天王の筆頭として剛勇で知られた。大江山の酒呑童子退治や、京都の一条戻り橋の上で鬼の腕を源氏の名刀「髭切りの太刀」で切り落とした逸話で有名。謡曲『羅生門』は一条戻り橋の説話の舞台を羅城門に移しかえたものである。
その子孫は渡辺党と呼ばれ、内裏警護に従事する滝口武者として、また摂津国の武士団として住吉(住之江)の海(大阪湾)を本拠地として瀬戸内海の水軍を統轄し、源平の争乱から南北朝にかけて活躍した。九州の水軍松浦党の祖の松浦久もまた渡辺氏の出である。
先祖の源融は『源氏物語』の主人公の光源氏の実在モデルとされたが、綱も美男子として有名であった。また、大阪市北区の梅田界隈には源融ゆかりの太融寺があり、その近くにある露天神社(『曽根崎心中』で有名な「お初天神」)の宮司家や、渡辺姓発祥の神社とされる座摩神社の宮司家は渡辺綱の子孫である。とあった!
投稿: 四方續夫 | 2012年7月26日 (木) 03時37分
四方さん、大阪では、渡辺綱の「駒つなぎの楠」にも行きましたよ。
以下記事のリンクです。
http://shizuka.cocolog-tnc.com/shizuka/2012/05/post-83ec.html
投稿: しずか | 2012年7月26日 (木) 11時07分
>平安時代、熊野参詣の出発点として栄えました。
江戸時代の史跡だけではなく、その歴史は南北朝から、平安時代までさかのぼるのですね。
大阪は、やっぱり水の都ですね。
投稿: merry | 2012年7月27日 (金) 21時29分
渡辺綱 駒つなぎの楠は美濃の国旅行中で見逃したようですね!
投稿: 四方續夫 | 2012年7月27日 (金) 21時37分
merryさん、昨年は大阪のあちこちを回りましたが
調べればまだまだ出てきそうです(#^.^#)
また予定が合えば、一緒に史跡めぐりしましょうね!
投稿: しずか | 2012年7月27日 (金) 23時14分