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2012年8月30日 (木)

若一神社(2)祇王の歌碑

平清盛に仕え、後に嵯峨野の祇王寺に隠棲した祇王の歌碑

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「萌出づるも枯るるも同じ野辺の草 いづれか秋にあはで果つべき」
(芽生えたばかりの草も枯れようとする草も、野辺の草は結局みな同じように、秋になると枯れ果ててしまうのです。)

人の世の無情を歌った平家物語史跡です。

祇王は、平家の家人・江部九郎時久の娘で近江国祇王村(現・滋賀県野洲市)に生まれ、母の刀自、妹の妓女とともに、京都で有名な白拍子となり、平清盛に寵愛されましたが、やがて清盛の寵愛は自らがとりなした仏御前に移り、母、妹ともに嵯峨往生院(現・祇王寺)へ仏門に入りました。

一陽斎豊国画・東錦絵(若一神社蔵)には、西八条邸の宴にて、仏御前の登場で、屋敷を追われることになった祇王が、涙ながらに清盛邸の襖に歌を一首書き残したという絵があるそうです。

西八条邸は時子、祇王、仏御前の三人が同時期に住んでいたことがあるのでしょうか。
清盛さま、モテモテでしたのね~(^_^;)

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祇王・祇女・仏御前」カテゴリの記事

コメント

祇王寺というか嵯峨野にしばらく行っていません。
秋の嵯峨野いいでしょうね。
でも、秋の祇王寺は寂しすぎるかな。

YUMIさん、コメントありがとうございます。

昨年は、祇王の故郷にも行って来ました。
物語の中の人物のような気がしていましたが
滋賀県野洲に貢献した人であったのですね。

>清盛さま、モテモテ

西八条の清盛邸は、元祖大奥だったのでしょう(笑)

そして清盛にはたくさんの異母弟がいるから、やっぱり父・忠盛もモテモテだったのでしょうね。

merryさん、たくさん親族がいるので、大邸宅が必要だったわけですね。
そこに愛人まで住んでいたのだから(^_^;)

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