六波羅を歩いて(1)
平家の邸宅があった六波羅界隈を歩いてみました。
清盛の祖父・正盛が六道珍皇寺辺りに邸宅を構え、御堂(常光院)を建立したことから、平家の中心地となり、やがて六波羅界隈には平家一門の邸宅が軒を連ねるようになりました。
六波羅蜜寺の南側の町名の看板
三盛町(旧泉殿町)には泉殿があり、清盛・教盛・頼盛の三兄弟の邸宅があったとされることから、三盛町という名がついています。
池殿町には、清盛の弟・頼盛の邸宅があり、池殿と呼ばれていました。
頼盛の母・藤原宗子は、池殿に住んでいたことから、池禅尼とも呼ばれていました。
門脇町には、平教盛の邸宅がありました。
教盛の邸宅は、邸宅が六波羅の総門にあったことから、教盛は門脇宰相・門脇中納言と呼ばれました。
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