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2012年10月23日 (火)

源義朝最期の地・野間を訪ねて(10)野間大坊

ここまで来たら、ようやく人に出会いました(#^.^#)

野間大坊は、愛知県知多郡美浜町にある真言宗の寺院で、正式には鶴林山無量寿院大御堂寺(かくりんざん むりょうじゅいん おおみどうじ)と称し、源義朝ゆかりの寺として有名です。

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白河天皇の勅願によって承暦年間(1077~1081)に建立したと伝えられていますが、義朝を弔うために平康頼が小堂を建てたことに始まるという説が有力で、源頼朝が墓参に訪れた際に堂塔伽藍を再建したともいわれています。

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大門はその時建立されたものです。

大門

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以後、豊臣秀吉、徳川家康の庇護を受けて発展しました。

本堂

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野間大坊(由来)

天武天皇(673~686)の時、役の行者が草創、聖武天皇(723~749)の時行基菩薩が再び開基し、弥陀三尊を守置し阿弥陀寺と称した。
弘法大師は当寺に留錫、一千座の護摩供養を修し庶民の幸福を祈った。
白河天皇の承暦年間(1077~1081)一山を再建して勅願寺とし大御堂寺と命名された。
親筆の金字の妙典八軸を納められた。
源義朝公憤死の地で境内に墓地がある。
又、縁結びの弁財天が良縁を授ける。
建久元年(1190)源頼朝公により、守本尊開運延命地蔵菩薩が奉安された。
守本尊は定期佛師作ではじめ平清盛の母の池の禅尼念持仏であった。
頼朝十三の時平治の乱に敗れてとらえられたが、池の禅尼の命乞いによって助けられ、後天下を治めることが出来た。
その時禅尼地蔵尊を頼朝公に与え、公は父の廟参の時当寺に納めた。
尚、頼朝公相伝の延寿の秘法が当寺に伝わっている。(案内板より)

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本堂向かって左側には、鎌倉幕府五代将軍・藤原頼嗣寄進の梵鐘がある鐘楼堂があります。

鐘楼堂

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平康頼の墓

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伊勢湾の方にある旅館で、源義朝御膳が味わえるそうですよ!

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コメント

 出てきましたね「野間大坊」の見事な鐘楼門でなく「鐘楼堂」ですね!
知多半島には多くの文化財があるのですね!
 来年春に計画しようと思っています。

四方さん、知多半島も隅々まで行けば、まだ見るべきところがあるでしょうね。
ぜほ来年実現させてください。

平康頼は、大変信心深い人であったといわれていますね。
だから喜界島から生還できたとか。

私はダメだわ。信仰心がないから(笑)

merryさん、コメントありがとうございます!

私もです(笑)

人は危機的状況に陥ったとしたら、最後にすがるのはやはり神仏なのでしょうか。

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