源義朝最期の地・野間を訪ねて(4)千人塚
法山寺の西にある千人塚(せんにんづか)
仙人塚とも書きます。
長田一族と源義朝の家来が戦った時出た死者を埋めたところとも首の無い義朝の胴体を埋めた塚だともいわれています。
平治2年(1160)長田父子が源義朝公を謀殺した時に、長田一族が義朝公の家臣、渋谷金王丸、鷲栖玄光らと戦って討ち死した多くの者を集めて、この地に埋めたと言われている。
また首のない義朝公の胴体を埋めたという伝えもある。
この案内板の前に、大河の幟があり、そのために正面から撮影できず、このように右からと左から撮影しました
(^_^;)
せっかくPRするなら、幟の設置場所も考えて欲しいものです。
ここは、湯殿跡よりも、もっと奥まっていて、人気もなく寂しいところでした。
女性一人で訪ねることは控えた方が良いと思います。
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しずかさんの記事読んでいて、最後にヒヤッとする女性の気持ちが書かれています。
どうか気をつけて取材して下さい!
久し振りの夜更かしでした。お祭りが夕立で大変でした。朝8時高倉神社の「ヒヤソ踊」を撮影した時は、雨の気配は無かったのですが、巡業中降ったりやんだりで大変でした。
投稿: 四方續夫 | 2012年10月 8日 (月) 07時24分
そうですね。
遠いところまで追いかけて行くと、ついつい無理しがちになりますが、危険を冒してまですることではないので、用心しないといけませんよね。
この時期、クマや蜂にも要注意です(^_^;)
投稿: しずか | 2012年10月 8日 (月) 13時25分
野間にはこんなにたくさんの義朝ゆかりの地があるのですね。
これも大河イヤーだから情報が出てくるのであって、普段ならここまで詳しくは分からないでしょうね。
今年はいいチャンスでしたね。
投稿: merry | 2012年10月12日 (金) 21時55分
merryさんへ
「義経」の時は、義朝は最初にちょこっと出ただけで、注目されませんでしたね。
今年の大河では、義朝の人気急上昇しましたね!
投稿: しずか | 2012年10月12日 (金) 23時42分