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2012年10月 9日 (火)

源義朝最期の地・野間を訪ねて(5)内扇に伝わる話

野間の内扇という地名は「うとげ」と読むそうです。

1159年12月、平治の乱で敗れ、落ち延びた義朝は、大垣の杭瀬川を舟で下り、今の南知多町内海海岸にたどり着き、山伝いに4キロ先の美浜町野間内扇(うとげ)に着きました。

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そこでは、正月の餅つきの準備をしており、腹のすいた義朝一行は村人が止めるのも聞かずに、餅になるセイロのおこわを、手づかみでほうばったと伝えられています。

そのお礼として、村人に「百合草」の苗字を与えて去りました。

内扇では、義朝を偲んで今でも正月三が日は、モチを食べないそうです。
(あいコンシェルジェより)

乱橋から内扇の集落を望む。

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源義朝」カテゴリの記事

コメント

しずかさん!寂しい所や山麓を歩くときは必ず熊除けに「鈴」つけて下さい。山麓の神社にも良くでます。大きな熊蜂の巣を壊して蜂蜜を舐めるのが大好きです!
 その神社につけた爪痕は物凄いものです。
鈴の音聞いて熊は人間を避けます。男除けにもなりますよ!
 一番怖いのは子ずれの熊の母親にあった時です!
小生の栗園にも2年前は親子熊が出て、栗の木を大分ヘシ折られました。
 体重をかけてヘシ折ります。

四方さん、アドバイスありがとうございます!

これからの時期、史跡巡りは気をつけなくてはいけないことがありますね。
滋賀の旅でも注意しなくちゃ!

関が原に行った時、「子グマを捕獲したので親グマに注意して下さい」と町内放送されていたため、小早川秀明が本陣を置いた松尾山に登るのを断念して帰ったことがあります。

返す返す残念に思いますが、やっぱり命が惜しいですからね。

歴女の大敵は「熊」と「蜂」ですね(笑)


merryさんへ

そうですね。
クマ出没の話を聞くと、やはり尻込みしてしまいます。
関ヶ原にはよく出没するようですね。
秋は特に注意です(^_^;)

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