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2012年10月

2012年10月30日 (火)

滋賀情報!

滋賀県から最新情報が届きました!

以下ご覧ください。

長浜にも行快作仏像 浄信寺の阿弥陀立像
http://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20121025000025

浜縮緬でお経本カバー 彦根仏壇の老舗と共同開発
http://ameblo.jp/my-you/day-20121023.html

権座の実り 農の収穫感謝祭
=28日、白王町鳰の湖会館前広場=
http://www.shigahochi.co.jp/info.php?type=article&id=A0011439

「幡母衣」17年ぶり高々 千手院、秘仏開帳の厄よけ
http://www.kyoto-np.co.jp/sightseeing/article/20121026000031

県立近代美術館で特別展「石山寺縁起絵巻」一挙公開
http://www.shigahochi.co.jp/info.php?type=article&id=A0011444

米原で映画「家」ロケ 市民エキストラ200人
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/shiga/news/20121027-OYT8T00972.htm

フォーラム:「淡海の宝石」ビワマス 参加者を募集??来月18日・長浜
http://mainichi.jp/area/shiga/news/20121027ddlk25040486000c.html

伊吹山、はや暖色パノラマ
http://www.kyoto-np.co.jp/sightseeing/article/20121026000146

フリフル華麗にデビューー滋賀発7人組アイドル、ダンスと歌で観客魅了
http://biwako-otsu.keizai.biz/headline/720/

比叡山延暦寺で来月25日まで夜間拝観
http://www.shigahochi.co.jp/info.php?type=article&id=A0011477

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

下記の探訪が開催されますので、お知らせします。
詳細は添付のPDF、URLでご確認ください。
★問い合わせ、申込み先はそれぞれ異なりますので、ご注意ください。

●平成24年11月3日(土・祝)
探訪「佐々木道誉の足跡と平清盛御落胤伝説を訪ねて」
http://www.pref.shiga.jp/hodo/e-shinbun/ma07/20121005_1.html
●平成24年11月11日(日)
「まるごと水口岡山城2012」
http://www.pref.shiga.jp/hodo/e-shinbun/ma07/20120928_1.html
●平成24年11月17日(土)
「探訪 景清道を訪ねて」
http://www.pref.shiga.jp/hodo/e-shinbun/ma07/20121015_1.html

★問い合わせ、お申し込み(以上、3件とも)
滋賀県教育委員会(文化財保護課城郭調査担当)
〒521-1311 近江八幡市安土町下豊浦6678 城郭調査事務所
TEL:0748-46-6144 FAX:0748-46-6145
E-mail:ma16@pref.shiga.lg.jp


●平成24年11月25日(日)
探訪「平家物語・祇王祇女の里を訪ねて」
【詳細】
http://www.pref.shiga.jp/hodo/e-shinbun/ma07/20121019_1.html
●平成24年12月1日(土)
探訪「木曽殿最後の地・膳所を訪ねて」
【詳細】
http://www.pref.shiga.jp/hodo/e-shinbun/ma07/20121026_1.html
★問い合わせ、お申し込み(以上、2件とも)
滋賀県教育委員会文化財保護課記念物担当
Tel:077-528-4674  Fax:077-528-4956
E-mail:outan@pref.shiga.lg.jp


●平成24年11月17日(土)
【イベント・探訪】石道寺の懸仏、約140年ぶりの里帰り
★問い合わせ・申込み:長浜市木之本町石道自治会
TEL:090-6917-6315(自治会長中村)
FAX:0749-82-3474(自治会長中村)
E-mail :avail_nakamura@gaia.eonet.ne.jp(自治会長中村)

●平成24年11月18日(日)
今日1日はどっぽり弥生人「下之郷遺跡まつり2012」
詳細は下記↓
http://www.city.moriyama.lg.jp/pub/submit.nsf/ecbd6dc8a5cd9ee949256db100454033/77791327f061add649257a9a00063859!OpenDocument
★問い合わせ
下之郷史跡公園 TEL.077-514-2511

●平成24年11月23日(金、祝)
「紅葉の清水山城を歩く&のろし駅伝」
http://joraku-club-hy.blog.eonet.jp/default/2012/10/post-1860.html
※清水山城楽クラブHP( http://www.eonet.ne.jp/~joraku-club-hy/ )内
★問い合わせ、お申し込み
清水山城楽クラブ(担当:山口)
TEL:090-2113-7486
E-mail:yamasan@kvp.biglobe.ne.jp


●平成24年12月16日(日)
【探訪】まぼろしの坂本城と石積みの門前町坂本をゆく
★問い合わせ:坂本城を考える会 
TEL:090-3862-2849(恒岡)
TEL:090-2597-3669(梶原)
★申し込み:坂本観光協会
FAX:077-578-6567

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2012年10月28日 (日)

景清社

熱田神宮を左手に歩いて行くと、ひつまぶしで有名な蓬莱本店陣屋があります。

その近くにある景清社

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景清社(かげきよしゃ)

景清は平家の侍大将忠清の次子で、腕力に優れていた。
平家没落後、縁あって熱田の地に隠れ住んだといわれる。
謡曲「景清」では「尾張の国熱田にて遊女と相馴れ一人の子を設く」とうたわれている。
後年、景清は眼病を患い、失明したという伝説から、この景清社は、眼病に霊験があるとして信仰が篤い。

景清について

平家に仕えて戦い、都落ちに従ったため俗に平姓で平景清とも呼ばれているが、藤原秀郷の子孫の伊勢藤原氏(伊藤氏)で、伊藤景清ともいう。通称、上総七郎(上総介忠清の七男であるため)。信濃守(1180年)、兵衛尉。「悪七兵衛」の異名を持つほど勇猛であった。
平安末期における治承・寿永の乱(源平合戦)において活躍した。『平家物語』巻十一「弓流」において、源氏方の美尾屋十郎の錣を素手で引きちぎったという「錣引き」が特に有名である。壇ノ浦の戦いで敗れた後に捕られ、預けられた八田知家の邸で絶食し果てたといわれるが異説もある。
「悪七兵衛」の「悪」は悪人という意味ではなく、「悪党」と同様に勇猛さを指すものとされるが、壇ノ浦の敗戦後に自分を匿った叔父の大日房能忍を疑心暗鬼にかられて殺害してしまったためにそう呼ばれるようになったとの伝承もある。ただし近年は能忍の死因は病死または事故死とする説が有力。
実在したとはいえ生涯に謎の多い人物であるため、各地に様々な伝説が残されているが、いわゆる平家の落人として扱われる事は少ない。このためか各種の創作において主人公としてよく取り上げられている。
『吾妻鏡』の記述によれば、景清には兄がいて、上総五郎兵衛尉忠光といい、鎌倉二階堂の永福寺の造営中、源頼朝を暗殺しようと土工にまぎれこむも、怪しまれて捕まっている。(Wikipediaより)

大河ドラマでは、景清の父が伊藤忠清として登場しています。

愛知県にはこの他にも景清伝説の地があるそうなので、また機会をみて訪ねてみようと思います。

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2012年10月23日 (火)

源義朝最期の地・野間を訪ねて(10)野間大坊

ここまで来たら、ようやく人に出会いました(#^.^#)

野間大坊は、愛知県知多郡美浜町にある真言宗の寺院で、正式には鶴林山無量寿院大御堂寺(かくりんざん むりょうじゅいん おおみどうじ)と称し、源義朝ゆかりの寺として有名です。

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白河天皇の勅願によって承暦年間(1077~1081)に建立したと伝えられていますが、義朝を弔うために平康頼が小堂を建てたことに始まるという説が有力で、源頼朝が墓参に訪れた際に堂塔伽藍を再建したともいわれています。

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大門はその時建立されたものです。

大門

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以後、豊臣秀吉、徳川家康の庇護を受けて発展しました。

本堂

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野間大坊(由来)

天武天皇(673~686)の時、役の行者が草創、聖武天皇(723~749)の時行基菩薩が再び開基し、弥陀三尊を守置し阿弥陀寺と称した。
弘法大師は当寺に留錫、一千座の護摩供養を修し庶民の幸福を祈った。
白河天皇の承暦年間(1077~1081)一山を再建して勅願寺とし大御堂寺と命名された。
親筆の金字の妙典八軸を納められた。
源義朝公憤死の地で境内に墓地がある。
又、縁結びの弁財天が良縁を授ける。
建久元年(1190)源頼朝公により、守本尊開運延命地蔵菩薩が奉安された。
守本尊は定期佛師作ではじめ平清盛の母の池の禅尼念持仏であった。
頼朝十三の時平治の乱に敗れてとらえられたが、池の禅尼の命乞いによって助けられ、後天下を治めることが出来た。
その時禅尼地蔵尊を頼朝公に与え、公は父の廟参の時当寺に納めた。
尚、頼朝公相伝の延寿の秘法が当寺に伝わっている。(案内板より)

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本堂向かって左側には、鎌倉幕府五代将軍・藤原頼嗣寄進の梵鐘がある鐘楼堂があります。

鐘楼堂

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平康頼の墓

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伊勢湾の方にある旅館で、源義朝御膳が味わえるそうですよ!

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2012年10月21日 (日)

源義朝最期の地・野間を訪ねて(9)血の池

密蔵院から野間大坊へ向かう道です。

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野間大坊は、本堂に着く前に、この血の池が目にと飛び込んできます。

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長田親子に殺された源義朝の首を洗ったとされる池で、国に変事が起こると、池の水が赤くなるといわれています。

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池といっても、ほとんど水がありませんした。

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地元の人もあまり寄り付かない心霊スポットというのを読みましたが、たしかに名前だけでも不気味なものですよね。(;O;)

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2012年10月19日 (金)

源義朝最期の地・野間を訪ねて(8)長田屋敷跡&はりつけの松

長田忠致は桓武平氏の末流で、『尊卑分脈』による記述では道長四天王の1人とされた平致頼の5世孫(門真致俊の子)にあたります。
忠致は、尾張国野間の豪族で、娘は源義朝の乳兄弟である鎌田正清の妻となっていました。

平治元年(1159年)、平治の乱に敗れた源義朝は、東国への逃避行の途中、鎌田政清の舅である忠致のもとに身を寄せますが、長田忠致・景致父子は平家からの恩賞を目当てに義朝を浴場で殺害、政清をも殺し、二人の首を六波羅の平清盛の元に差し出しました。
これにより忠致は壱岐守に任ぜられますが、この行賞に対して不満を述べたために、清盛らの怒りを買い、慌てて逃げ帰りました。

後に源頼朝が挙兵すると、頼朝の元へ参上し、自らの罪を訴えました。
すると、頼朝から「懸命に働いたならば美濃尾張をやる」と言われ、平家追討に懸命に働いたといいます。

しかし平家滅亡後は、頼朝に父の仇として追われる身となり、頼朝の命で殺されたといいます。
「保暦間記」では、鎌倉に捕えられていた長田忠致は青墓宿で斬られたとされていますが、その一方、野間の密蔵院の裏山には、長田父子を磔にしたという松があります。

その際、「約束通り、美濃尾張(身の終わり)をやる」と言われたと伝えられています。

この松は、密蔵院の境内からも行けますが、野間駅から野間大坊に向かう道の田んぼの中を突っ切っても行きます。

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大河イヤーで舗装されていました! 

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辞世の句

ながらえし命ばかりは壱岐守  美濃尾張をばいまぞたくまはり

(清盛からの壱岐守と、頼朝からの美濃尾張(身の終わり)を掛けています。)

長田父子が処刑されたのは美濃青墓であったのか、それとも尾張野間だったのか。処刑場所だけでなく、処刑時期、処刑方法についても諸説あります。

下高田遺蹟では、縄文、弥生時代の遺跡が発見されているそうです。

最後に・・・
忠致は永井荷風や三島由紀夫は長田忠致の子孫なのだそうですね。

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2012年10月15日 (月)

滋賀情報!探訪「佐々木道誉の足跡と平清盛御落胤伝説を訪ねて」ほか

下記の探訪が開催されますので、是非ご参加ください。
詳細は、県政eしんぶんでご確認ください。

●平成24年11月3日(土・祝)
探訪「佐々木道誉の足跡と平清盛御落胤伝説を訪ねて」
【県政eしんぶん10月5日号】
http://www.pref.shiga.jp/hodo/e-shinbun/ma07/20121005_1.html

●平成24年11月17日(土)
「探訪 景清道を訪ねて」
【県政eしんぶん10月15日号】
http://www.pref.shiga.jp/hodo/e-shinbun/ma07/20121015_1.html

★問い合わせ、お申し込み(以上、2件とも)
滋賀県教育委員会(文化財保護課城郭調査担当)
〒521-1311 近江八幡市安土町下豊浦6678 城郭調査事務所
TEL:0748-46-6144 FAX:0748-46-6145
E-mail:ma16@pref.shiga.lg.jp

16年ぶり千手観世音菩薩開扉 川道観音千手院で来月3日から9日間
三成スタンプラリー
http://ameblo.jp/my-you/day-20121017.html

近江・ミニ散歩
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/shiga/feature/ohtu1335883335393_02/index.htm

宝巌寺の宝物を公開 「竹生島文書」重文指定を記念
http://www.kyoto-np.co.jp/sightseeing/article/20121016000037

「ゆるキャラまつりin彦根~キグるミさみっと2012~」ガイドブック販売
http://shigahikone.blogspot.jp/2012/10/blog-post_14.html

歴史と伝統食 安土ほんまもんツアー
http://www.shigahochi.co.jp/info.php?type=article&id=A0011375

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2012年10月13日 (土)

源義朝最期の地・野間を訪ねて(7)密蔵院

密蔵院(みつぞういん)

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こちらも父・源義朝供養のため、源頼朝が建てた寺とされています。

本堂に安置されている不動明王は鎌倉期の作とされ、その他には「かじとり観音」と呼ばれる如意輪観音などがまつられています。

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本堂

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寺の奥には「はりつけの松」があります。(次の記事で紹介します)

由緒

白河天皇の勅願所大御堂寺の一山で宝乗坊と号し、大坊の別当職に対して学頭職の寺であった、宝暦年間に密蔵院と改称した。
本尊不動明王、瀬戸の雲興寺と並んで盗難よけの霊場として有名である。

かじとり観音

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霊験あらたかな観音様で交通安全はもとより家庭平和のかじ等諸々のかじをおとり下さって、誰にでもご利益をお与え下さいます。昔から願などかける人多く、赤門は夜も閉めない門となっている。
大御堂一山の古絵図、尾張光友公絵図、長田屋敷跡に出土の弥生式土器
裏山に「長田の磔松」がある。(案内版より) 

不動堂

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弘法堂

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2012年10月11日 (木)

源義朝最期の地・野間を訪ねて(6)安養院

安養院(あんよういん)「知多四国第五十三番」「開運七ヶ寺第六番」

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安養院は承暦年間白河天皇の発願で大御堂寺の一院で、1190年(建久元年)源頼朝公先考菩提の為創建。

こちらも父・源義朝供養のため、源頼朝が建てた寺とされています。

本尊阿弥陀如来、観世音菩薩、勢至菩薩(藤原期の作)、地蔵菩薩

1583年、羽柴秀吉に岐阜城を追われた織田信長の三男・織田信孝が自害した「信孝自刃の院」があります。

辞世の歌「むかしより 主をうつみの 野間なれば むくいをまてや はしば筑前」を書いた後、腹をかき切って自ら腸をつかみ出すと、床の間にかかっていた墨梅の掛け軸に投げつけたといわれています。
その血の跡が掛け軸に残っていて、掛け軸に描かれた梅の花は、四季折々に色を変えると伝えられているそうです。

何とも恐ろしい(*_*)

信孝の墓は、大御堂寺(野間大坊)にあります。

怒りを込めた辞世の句、血染めの掛け軸や自刃の短刀、自刃の間は非公開ですが、そのパネルを見せていただいたので、写真を撮らせていただきました。

掛け軸の左下が血の跡、手前に置かれているのが短剣です。

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境内の樹齢600年の蘇鉄は、「あいちの巨木」に指定されています。

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本堂 

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地蔵堂 

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この周りも一面田んぼです。

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2012年10月 9日 (火)

源義朝最期の地・野間を訪ねて(5)内扇に伝わる話

野間の内扇という地名は「うとげ」と読むそうです。

1159年12月、平治の乱で敗れ、落ち延びた義朝は、大垣の杭瀬川を舟で下り、今の南知多町内海海岸にたどり着き、山伝いに4キロ先の美浜町野間内扇(うとげ)に着きました。

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そこでは、正月の餅つきの準備をしており、腹のすいた義朝一行は村人が止めるのも聞かずに、餅になるセイロのおこわを、手づかみでほうばったと伝えられています。

そのお礼として、村人に「百合草」の苗字を与えて去りました。

内扇では、義朝を偲んで今でも正月三が日は、モチを食べないそうです。
(あいコンシェルジェより)

乱橋から内扇の集落を望む。

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2012年10月 7日 (日)

源義朝最期の地・野間を訪ねて(4)千人塚

法山寺の西にある千人塚(せんにんづか)

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仙人塚とも書きます。

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長田一族と源義朝の家来が戦った時出た死者を埋めたところとも首の無い義朝の胴体を埋めた塚だともいわれています。

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平治2年(1160)長田父子が源義朝公を謀殺した時に、長田一族が義朝公の家臣、渋谷金王丸、鷲栖玄光らと戦って討ち死した多くの者を集めて、この地に埋めたと言われている。
また首のない義朝公の胴体を埋めたという伝えもある。

この案内板の前に、大河の幟があり、そのために正面から撮影できず、このように右からと左から撮影しました
(^_^;)

せっかくPRするなら、幟の設置場所も考えて欲しいものです。

ここは、湯殿跡よりも、もっと奥まっていて、人気もなく寂しいところでした。
女性一人で訪ねることは控えた方が良いと思います。

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2012年10月 4日 (木)

源義朝最期の地・野間を訪ねて(3)湯殿跡

法山寺の東側に湯殿跡があります。

平治の乱に敗れた源義朝は、野間にある鎌田政清の舅で、家人でもあった長田忠致の屋敷に身を寄せたましたが、そこで恩賞目当ての長田忠致・景致父子の裏切りに遭います。
長田父子は、義朝に入浴を勧め、義朝を油断させたところを、だまし討ちされ、鎌田政清も酒を呑まされ殺害されました。(「平治物語」より)
「愚管抄」では、長田父子の裏切りを察知した義朝が、政清に自らの首を打つよう命じ、斬首したのちに政清は自害したとされています。

湯殿跡

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平治2年(1160)正月、京都平治の乱に於いて、平清盛軍に敗北した源義朝公が源氏復興の有志をもって、関東地方に逃亡の途中、この地より西に700メートルにあった長田屋敷に逗留中、正月三日、初湯に招かれ、その入浴中に長田父子に謀殺された湯殿跡地。 

ここには源義朝の像が建てられています。

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ここは昼間でも薄暗いところにあるので、特に女性の一人歩きにはご注意ください。

 

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