建礼門院が剃髪した長楽寺
壇ノ浦での合戦では、安徳天皇を抱いた二位の尼(平時子)をはじめ、平家の女官達が次々と海に飛び込む中、着物の袂に硯などのおもりを入れて飛び込んだ建礼門院徳子は、源氏方によって熊手で長い髪の毛を引き寄せられ、死ぬことも許されませんでした。
平家滅亡後、京に戻った建礼門院は、1185年5月1日、東山の長楽寺で、髪をおろしました。その際、3月に壇ノ浦で入水された安徳天皇が間際まで召されていたという形見の直衣を御布施として自ら幡を縫われ、御菩提を弔われました。
その実物が京都の東山にある長楽寺に保管されています。
近年の調査の結果、800年前の平絹の繊維に間違えないことがわかったそうです。
長楽寺の境内には、建礼門院御塔があります。(御髪塔とも)
説明板によると、
「この塔は以前は長楽寺山山腹八丁台の景勝地にあったが、明治初年にこの地に移された。平家物語には、鷲尾にて69歳で亡くなった、遺骨を鷲尾に納めたともあり、鷲尾山長楽寺のことを指しているとすれば、この御塔は女院の御舎利塔とも拝される。」
鷲尾という地名は、東山区鷲尾町という町の名前に見られます。
また当寺には建礼門院の御影が保存されています。
壇ノ浦の合戦後、京に戻った建礼門院に対しての、源氏方の監視が厳しく、この御影も源氏方の目を逃れる為、当時は表面を墨で覆い隠し祭られていたと伝えられています。
その他の貴重な資料として、わずか8歳で入水された安徳天皇の「安徳天皇御影」があります。
前住職の時代に渡辺拍舟画伯によって模写されたもので、その原画は泉湧寺に納められていますが、軸の裏書に、「長楽寺什物」と記されていることから、かつては長楽寺に祭られていたものらしいとうことです。
応援のポチッのご協力お願いします。
「建礼門院」カテゴリの記事
- 大原の源平史跡(10)茶室「孤雲」 (2020.03.24)
- 大原の源平史跡(9)寂光院「大原御幸」(2020.03.17)
- 大原の源平史跡(8)紫葉漬と大原女の発祥の地 (2020.03.10)
- 大原の源平史跡(7)寂光院 諸行無常の鐘(2020.03.03)
- 大原の源平史跡(5)寂光院 山門~本堂(2020.02.21)
しずかさんが長楽寺に行かれた時には、書院の中の写真はOKだったのですか?
私は今年になって行ったけど、写真はNGでした(;_;)
投稿: merry | 2012年11月 8日 (木) 20時07分
merryさん
ここに行ったのは、たぶん7年前のことだと思いますが、撮影禁止とは書いてなかったような・・・
レプリカだから良かったのかな?
投稿: しずか | 2012年11月 8日 (木) 23時03分