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2012年11月25日 (日)

扇の芝と源頼政の墓

治承4年(1180年)5月26日、源頼政は以仁王を奉じて平家打倒に立ち上がり、平知盛・重衡軍を宇治川で迎え撃ちます。

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宇治川を挟んでのこの戦は、「橋合戦」と呼ばれ、以仁王軍は、橋の底板を外して敵の侵
入を防ぎ、矢で応戦していました。
橋の上でも激戦が繰り広げられましたが、17歳の足利忠綱が宇治川の急流の宇治川に馬を乗り入れると、平家軍が一気に平等院へ押し寄せました。
渡河を許したため、頼政は宇治橋を捨てて平等院まで退きます。

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頼政は流れ矢に当たってしまい、もはやこれまでと家来の渡辺長七に首を討てと命じますが、長七は「生きている主人の首は討てません。せめて自害してからにしてください。」と頼みました。

頼政は

「埋もれ木の花咲くこともなかりしに
身のなる果てで悲しかりける」

と辞世の句を残し、扇を広げてその上に座り、念仏を唱えて源頼政は自刃しました。

(「義経と平家の京都」参照)

宇治の平等院の観音堂の前に、芝が扇形になっている頼政終焉の地・扇の芝があります。

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頼政の介錯をした長七は、敵に奪われないように頼政の首級におもりをつけて宇治川に沈めたといいます。

一方、奈良へ逃げた以仁王は、矢に当たって亡くなりました。

平等院の不動堂の手前に頼政の墓があります。

C

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現在は、紫式部の像越しに宇治橋が見えます。

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源頼政」カテゴリの記事

コメント

 第46回で宇治の戦いで負けた頼政公の見事な壮絶な自刃の姿!
 平等院の血染めの扉を見たのが思い出されます!

四方さん、わたしは平等院の血染めの扉はまだ見てません!(見たのに記憶がないだけかも?)
次回行く時に見逃さないようにします。

え?平等院に血染めの扉があるのですか?
それは見たいですね。

今、平等院は修理中かな?

merryさん、平等院は修理中なのですか?

今回宇治に行くことも考えたのですが、修理中なら

止めようかな?

血染めの扉はいつかみたいですね。

宇治橋の前の紫式部の石像も近年建てられたものです!

血染めの扉は宝物館内部で展示してありました。その時は7年前でした。

四方さんへ

>血染めの扉は宝物館内部で展示してありました。その時は7年前でした。

あれ~宝物館に入ったのに、記憶から抜け落ちています(^_^;)
また宇治まで行かなきゃ!

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