富士川の合戦・飯森浅間神社
岳南鉄道の岳南原田駅から歩いて15分ほどのところにある原田公園の近くには、富士川合戦の際、源氏軍が食糧を置いたという飯森浅間神社があります。
飯森浅間神社 略記
御祭神・木花之佐久夜昆賣命(このはさきくやひめのみこと)
当神社は『治承4年(西暦1180年・平安時代後期)源平両軍対陣の際、源軍は 当神社に食糧を置き、兵士此れを守備せしより『飯守明神』と称した』と伝えられ 現存する文書・記録が乏しく、創建の年代・現社名改称の経緯・その他信仰の変遷等を伺い知ることはできないが、かなりの古社である。
本殿に奉鎮されている当神社奉遷宮の棟札によれば『浅間社・神明社・宝前鎮座嘉永三戌年(西暦1850年)五月吉祥日・宇東川町内安全祈祷・地頭水野出羽守り』 とあるが、この当時御造営された本殿の老朽著しく、明治41年本殿・昭和5年拝殿を 御造営し現在に至る。
昭和8年2月18日村社に列せられ、明治40年神鎮幣帛料供進神社に指定されるなど 原田村の鎮守として広く信仰をあつめている。
相殿神(御祭神以外に本殿内に祀られている神)三座
天照大御神(神明宮)
嘉永3年(西暦1850年)の棟札に浅間宮と列して記載されていることから、古くより 浅間宮と共に奉祀されている。日本の大氏神である。
菅原道眞公(天満宮)
本殿には菅原道眞公の御神像が安鎮されているが、当神社嘉永嘉水年間の御造営に際し 浅間宮・神明宮とは別して棟札が納められていることから、明治41年(西暦1908年)の 御造営にあたり合祀されたものと思われる。
しかし、その経緯は定かではない。
大山津見神(山神社)
宇東川会館建設のため昭和28年合祀される。
旧鎮座地は、飯森浅間神社東側(約100来)の所であった。
平成8年10月吉日
宇東川1丁目3班当番組一同
岳南鉄道というのがあるのを、この時初めて知りました。
なかなか行く機会がないところなので、東京の帰りに寄ることができて良かったです。
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